昭和30年代後半に生まれた私にとって、この作品との最初の出会いは映画のスクリーンだった。タイトルも『華麗なるギャツビー』、主演はロバート・レッドフォード、ミア・ファーローという美男美女の代表選手で、1974年の公開である。リアルタイムでは観ておらず、その後、「名画座」の二本立て、三本立てなどで観たのだろう。圧倒的に豪華で華々しく美しい世界に、「これがアメリカか」と単純な憧れを持った記憶がある。
『グレート・ギャツビー』は1925年にF・スコット・フィッツジェラルドが発表した小説で、大ヒットを放ち、発表の翌年にはブロードウェイで舞台化された。以後、先に述べた映画だけではなく、何度もテレビ化、ドラマ化され、舞台でも繰り返し上演されている作品だ。日本での初演は1991年の宝塚歌劇団・雪組公演で、この舞台は世界初のミュージカルでの上演となった。以後、多くの舞台で上演されている。実に90年以上もの命脈を保っている作品だ。脚本・演出は小池修一郎。
舞台は1920年代のアメリカ、禁酒法の時代。謎の若き大富豪・ギャツビー(井上芳雄)の隣に引っ越して来たニック(田代万里生)は、夜ごと行われる華やかなギャツビーのパーティに招かれ、お互いが第一次世界大戦でフランスに出征したことを知り、佳き隣人となる。ニックの又従姉妹・デイジー(夢咲ねね)は、ニックの大学時代の同級生で、今は大金持ちとなったトム(広瀬友祐)と結婚して一児の母となっている。懐かしい再会を果たしたかつての仲間たちと、正体不明の大富豪・ギャツビー。やがて、その人間関係とギャツビーの秘密が解き明かされてゆく…。
この作品がいつまでも人気を失わないのは、舞台が明るく豪華なことだろう。まさに「アメリカン・ドリーム」を象徴するような華やかさと煌めきが随所に溢れた「非日常」が描かれている。もちろん、「光」があれば「影」がある。豪華で楽しい上っ面だけではなく、「影」の部分の人間ドラマをなおざりにすることなくキチンと描かれているから、長い歳月を経ても、作品が色褪せないのだ。今回の舞台にしても、衣裳や装置を1920年代の時代考証そのままにリアルにせずに、「それらしさ」を感じさせるきらびやかな上品さが漂うものにしてある。これが「芝居の嘘」の楽しいところだ。
井上芳雄のギャツビーが安定した伸びやかな歌と、柄に合った芝居で、「平成版」とも言えるギャツビーを見せる。対する田代万里生も健闘し、オペラで鍛えた喉に加えて、コミカルな芝居も好演だ。デイジーの夢咲ねね、トムの広瀬友祐、ジョージの畠中洋、マートルの蒼乃夕妃らが、バランスよく高いレベルを保っているのが、この舞台を豊かにしている理由だろう。ネタをばらすような批評は書きたくないが、幕開きと幕切れが印象的で、作品に対するプラス・アルファの想いが感じられる。
ミュージカル百花繚乱の時代が続いて久しいが、この『グレート・ギャツビー』は新たなヒット作品になり得る予感を与える。「古い革袋に新しい酒」を注ぐ試みが成功した例と言えよう。