毎年五月に恒例の国立劇場公演、今年は「創立85周年」と銘打って、第三世代が中心となって34年ぶりに『東海道四谷怪談』を上演している。創立メンバーであり、当代の河原崎国太郎の祖父に当たる五世・国太郎の上演以来のことだ。今年、第二世代の筆頭である中村梅之助を喪い、劇団の精神的支柱となくすという大きなショックを受けたが、前進座育ちで退団後幅広い活動を見せる瀬川菊之丞を記念公演の客演に迎えての意欲的な上演となった。
本来が長い作品であり、すべての場面を完全上演というわけには行かないが、前進座らしさが感じられるのは、人間関係の因果のもつれが解きほぐされてゆく第四幕の『三角屋敷』と、それに続く『夢の場』だろう。特に『夢の場』は34年前の舞台では上演できなかった部分であり、座員にとっては感慨もひとしおだろう。
普段、なかなか歌舞伎の上演ができない状況の中で、これだけの大きな作品に挑戦するためには、まさに劇団の力を総結集しなくてはでならない。劇団を率いる立場の第三世代が創り上げた「財産」の一つ、とも言えるだろう。出演している多くの人がこの作品には初出演であり、また、34年前の舞台と比べても意味がない。今の前進座が世代交替を進める中で、この大作に挑んだことを評価するべきだろう。
この作品で作者の鶴屋南北は、社会の底辺で喘ぎながらも生き抜く人々を描こうとした。好男子だが悪に染まった伊右衛門が、「首が飛んでも動いて見せるわ」とうそぶくのも、そうした時代の中で生き抜く知恵の一つだったはずだ。「その日限り」を生きる庶民たちの図太さや逞しさが、劇団ならではの江戸庶民群像劇としての側面にもう少しスポットを当てれば、さらに良い舞台になっていただろう。
立女形の河原崎国太郎、は弟の嵐芳三郎を相手役の伊右衛門に迎えて、好一対のコンビだ。それに、お岩の妹・お袖に横恋慕する直助権兵衛が藤川矢之輔、客演として7年ぶりに前進座の舞台を踏んだ瀬川菊之丞がお袖の夫・佐藤与茂七と、ところを得た配役だ。
国太郎のお岩、若々しい美しさを見せる場面は映えるが、眼目の「髪すき」の場面は、もう少し「女」としての複雑な感情をたっぷりと見せても良かっただろう。芳三郎の伊右衛門は、「色悪」というジャンルに分類されるこの役柄に合ったタイプの役者だ。矢之輔はコミカルな持ち味を活かし、後の悲劇を際立たせる。菊之丞の与茂七は白塗りが似合い、綻びのない、きっぱりとした芝居が記念公演に花を添えた形だ。お袖には入座8年の忠村臣弥が抜擢。序幕辺りは芝居が固く、歌舞伎には見えない部分があったが、芝居が進むにつれて落ち着きを見せた。役者は場数を踏んで鍛えられてゆくものだ。幸運なスタートを切ったと言えよう。柳生啓介が按摩の宅悦。芝居が新劇めいて、さらさらと流れてしまう。「地獄」と呼ばれる売春宿を経営するような男で、世の中の酸いも甘いも噛み分けたはずが、異質の悪に引き込まれてゆく姿を見せるようにすればより効果的だっただろう。
これは『四谷怪談』に限ったことではないが、怪談を上演する場合、多くの作品が客席の明かりをかなり落とす。しかし、今回の舞台は、肝心な場面以外は、客席で筋書きが読めるほどに場内が明るかった。この状況で、舞台上で陰惨な行為が繰り返されることで、怪談の恐怖も増す、というものだ。この演出は評価できる。
試行錯誤を繰り返しつつ、第三世代が今後の前進座をどう運転するのか、楽しみである。ずいぶん先の話にはなるが、順調に行けば15年後、彼らが70歳前後の折には「創立100年」という歴史を刻むことになる。それまでの一つ一つの公演を大事にするのはもちろんだが、次の世代を育てる役目も担わされる立場になったのだ。今回の舞台では、それが更にはっきりした形になった。厳しい時代を、先輩の伝統を受け継いで、更に新しい物を生み出し、自分たちが演じて来たものは更に練り上げて、第三世代の前進座の方向性を示す時が来たようだ。