この作品を、「歌舞伎なのかどうか」という視点で眺めれば、古くからの「古典歌舞伎」に馴染んだファンは眉をひそめるかもしれない。一方、歌舞伎を見慣れない若いファンに言わせれば、「歌舞伎にもこういう物があるんだ」ということになるだろう。今月、市川染五郎が中村勘九郎、七之助兄弟と上演している東北の歴史上の勇者・阿弖流為(あてるい)の姿を描いた作品である。

 2002年に、同じ新橋演舞場で「劇団☆新感線」の公演として市川染五郎と堤真一らでこの作品を上演している。この時は、歌舞伎公演としてではなく、あくまでも劇団☆新感線の「いのうえ歌舞伎」として上演したものだ。「いのうえ歌舞伎」とは、若者を中心に絶大な人気を誇り、1980年に結成した劇団☆新感線の創立メンバーの一人、いのうえひでのりが、古典を元にスピーディな感覚と、ケレン味を加え、独自の解釈で上演しているシリーズのことだ。

 今回は、出演者が歌舞伎役者で、松竹の公演としての上演であり、再演までの13年の間に、松竹が「歌舞伎」というものの広がりを再認識した結果であるとも言えよう。歌舞伎では「ここぞ」という時に打つ「ツケ」が至るところで効果音として使われ、立ち回りも歌舞伎のように様式性を重視したものではなく、限りなくスピーディでリアルだ。科白も、いわゆる歌舞伎調のものだけに終始せず、現代の言葉も出るし、科白全体が分かり易い。今の若い観客に絶大な人気を持って受け入れられるのがよく判る。

 阿弖流為の染五郎、坂上田村麻呂の勘九郎、共に大汗を流しての大奮闘だ。一幕が1時間15分、休憩を挟んで二幕が2時間、この間、二人はほぼ出ずっぱりで動き、刀を交え、叫ぶ。女形の七之助も、「立烏帽子党」と名乗る東北の女性で、歌舞伎の女形とは思えないような動きを見せる。若いメンバーだからこそ可能な舞台だ。特に、染五郎は13年の歳月を経て逞しさも増し、北の狼と異名を取る勇者の姿になった。

 まだ「蝦夷」と呼ばれ、蔑視されていた古代の東北対京の都の闘いを基本のテーマに据えた「阿弖流為」の物語は、小説にも舞台にもされて来た魅力のある素材で、史実をもとに空想の翼を広げる余地が多いにある時代だ。その分、制約がなく、自由に物語が展開できる。この芝居に、「史実とは違う」と目くじらを立てるのは野暮な話だろう。芝居は歴史の教科書ではないのだから。

 「演劇は時代と共に変容する」という私の視点で言えば、現代の若い観客に、大いなる好意を持って迎えられるこうした作品が、「再演」されたことの意義は大きい。新作歌舞伎は多々上演されるが、再演される作品の割合が少ないことが問題だ、と思っていた私には、この作品を「松竹」の公演として再演したことの意味は大きいと考える。

 問題はこれからだ。こういう作品も新たな歌舞伎の作品として上演リストに加えつつ、従来の「古典歌舞伎」とのバランスの取り方、「古典歌舞伎」の上演方法や形態などをどう考えて観客に提示するか。この見せ方に、歌舞伎の今後のある「方向性」が隠されており、やがてはそれが次の時代の歌舞伎の芸能としてのスタンスを決めることにもつながるだろう。

 歌舞伎座で上演しているような歌舞伎を期待して観に行けば、違和感を覚える人もいる一方で、エンタテインメントとして観れば面白いという両者の溝をどのような形で埋めてゆくのか。それが、今の歌舞伎が抱えている問題の一つであり、それを考えるにはこの「阿弖流為」は絶好のケースだと言えよう。