国を問わず、実在の人物をモデルにした映画・演劇は数多い。その人の人生が魅力的であったり、ドラマティックであったりする場合や、多くの人が知る人気者などが素材になっていることが多いが、時に無名の市井の人でもある。パターンもいろいろで、時に「偉い人のお話」になる場合もあれば、あまり都合のよくない出来事は舞台化の折に割愛するケースもある。
2016年に日本で初演され、大好評を博した『ジャージー・ボーイズ』(JERSEY BOYS)。アメリカで一世を風靡したカルテットの半生を描いたミュージカル作品で、モデルになったグループは『ザ・フォー・シーズンズ』。1960年代に活躍したグループで、『Sherry(シェリー)』などは日本でも爆発的にヒットした楽曲だ。フランキー、トミー、ボブ、ニックのうち、2000年に没したニック以外は存命で、リーダーで最年長のトミーは1928年生まれというから今年90歳だ。
ニュージャージーに住むイタリア系の若者で、決して素行が良いとは言えないトミーが、現在のどん底を抜け出すために選んだ手段は、「スターになること」だった。そのために不良仲間のメンバーを集め、やがて彼は成功の階段を駆け上ることになる。しかし、それぞれの自分勝手な振る舞いや、グループに対する想いがぶつかるようになり、決して円満とは言えなくなった。今更、昔の「悪童」に戻るわけにもいかない彼らの中で、リーダーのトミーがとんでもないことをやってくれる…。
初演の折にはダブル・キャストを「チームRED」「チームWHITE」に分け、それぞれの個性で楽しませたが、今回のキャストも「チームBLUE」と「チームWHITE」の2組に分かれている。私が観たのは「チームBLUE」だ。この芝居が楽しめる理由はいくつかあり、年代によっては耳に馴染みのある曲が多数散りばめられていること、主人公の4人の若者の、スターではあるが「等身大」の姿を描いていること、音楽と芝居が巧みにミックスされ、観客も場合によってはノリノリで観られることだ。客席も、いつものシアタークリエとは若干違った年代層の幅の広さがある。それぞれの俳優のファンもいるだろうが、加えて、作品が多くの世代に支持を受けている、ということだろう。
フランキーに中川晃教、ボブに矢崎広、ニックにspi、トミーが伊礼彼方の4人の組み合わせの中で、初演以来2回目は中川、矢崎の2人だけだ。中川晃教の歌声については、今更わざわざ述べる必要もないが、あの透明感のある音域の広い歌声は、見事な才能と努力の賜物と言うしかないだろう。見せて聴かせて、充分に楽しませる。初参加ではあるが、リーダーでありながら素行が悪く、場当たりで生きているような感覚の伊礼彼方が、見事にハマった。彼のために当て書きされたのではないかというほどで、外見や雰囲気の問題だけではなく、身体の細かな動かし方やポーズが、この人物の造型に一役も二役も買っている。矢崎のボブ、spiのニックも、それぞれの個性を過剰にならずに演じているところに好感が持てる。
スターの栄光だけではなく、ステージを降りた後のそれぞれのぶつかり合いや、決して愉快ではない出来事が、絵空事ではなくキチンと書かれているからこそ、彼らがステージにいる瞬間がより輝いて見える。社会における「陰」と「陽」、あるいは、個人またはグループとしての「陰」と「陽」がバランス良く、描くべきところはキチンと重点が置かれている脚本の構成の巧みさだ。阿部裕や畠中洋など、いくつかの役を演じながら4人を支える助演陣とのイキもぴったりだ。
1957年に開場し、多くの名舞台を生んだ「芸術座」が2005年に閉館、ビルを改築して同じ敷地内の地下に2007年に「シアタークリエ」として劇場が再誕生し、11年が経った。「シアタークリエ」になってからは、観客も若い世代を中心に意識した演目が増え、ミュージカルが圧倒的な割合を占めるようになった。作品によっては賛否両論の声もあるだろうが、この『ジャージー・ボーイズ』のような作品は、「シアタークリエ」の発想、空間でなければ上演できなかっただろう。チケットはほぼ完売、という人気だが、だからと言って収容人数が多い「日生劇場」や「帝国劇場」で上演する作品ではない。約600席、というスケールの劇場空間だからこそ、観客と演者の距離感、お互いがキャッチボールをしながら創り出す空気がうまく醸成され、最後にスタンディング・オベーションになるのだ。一つの劇場で、年間に10本から20本の芝居を打っていても、こうしたケースはなかなか生まれない。
そういう点で『ジャージー・ボーイズ』は、シアタークリエが生み出した作品として、胸を張れるものになった。