2005年にこのタイトルでの上演が始まって以来、今年で10年とは早いものだ。ファンにとっては、「年に一度のお楽しみ」となった恒例の舞台だろう。昨年の3月21日には2000年の『SHOCK』初演以来、1000回の上演を迎えた。毎年、マイナーチェンジを繰り返しながら、エンタテインメントとしての「進化」を続けていることになる。同じ演目で単独主演が1000回を越えているのは森光子の『放浪記』、松本幸四郎の『ラ・マンチャの男』、『勧進帳』、山本安英の『夕鶴』しかない。いずれも長い年月を掛けて積み重ねて来たもので、堂本光一の場合はわずか14年でこの偉業を達したことになる。もっとも、回数を重ねることは大事なことだが、演じる方も観客も「その日一回」の舞台であり、そこにいかに精魂を込められるか、だろう。
小柄のせいかいつまでも20代のような印象でいたが、帝国劇場の最年少座長公演になった初演が21歳の折のこと、今年35歳になった割に、素晴らしい身体能力を見せる。相当強い意志がなければ、維持することは難しいはずだ。舞台を観ていても感じることだが、すべての面でストイックなまでに何かを追求する求道者のような姿は、この作品のテーマである「Show must go on」の精神にも通じるものがある。歌舞伎の世界では、江戸時代から作者の心得るべきものとして「三親切」と呼ばれる考え方がある。「観客に親切」「役者に親切」「座元に親切」の三つで、劇場へ足を運んでもらった観客に楽しかったと思ってもらえ、役者にはこの作品に出て良かったと思われ、座元(劇場)にはこの作品を上演して良かったと思ってもらえるような芝居を書け、という意味だ。失礼ながら、堂本光一がこの言葉を知っているとは思わない。しかし、先に述べた精神で彼が日々舞台の上で上演している「SHOCK」は、14年間にわたって、この「三親切」を満たしている。座長を勤めるのは舞台に立つ者が目指す頂点である一方、その栄光の座を占めるためのプレッシャーや努力は、第三者には計り知れない物がある。座長の椅子の数は限られており、誰かが席を立った瞬間に次の人が座ってしまう。これは、どの世界でも一緒だろう。しかし、35歳の若さでこの席を14年間保ち続けていることは、数字だけではなく多くの結果が証明している。
一例を挙げれば、「SHOCK」の名物は幾つもあるが、一幕のラストの立ち回りからの階段落ち。激しい立ち回りの後で二十数段の階段を一気に転げ落ちた後は、マイクを通して息切れの音が聞こえるほどだ。ここまで自分の身体を酷使するような舞台を日々続けることは、もはや尋常とは言えない。しかし、それでもなお、彼は自分自身にまだ「満足」を見出してはいないだろう。「もう少しできるのでは…」「もっとやらなくては…」という想いが彼を駆り立て、日々の舞台につながるからこそ、進化があるのだ。
昨年は前田美波里が演じていた劇場のオーナー役が今年は森公美子に変わった。この作品のファンであり、出演を願っていたというだけに、豊かな声量を活かした歌の部分に厚みが加わった。もう一点、敵役とも言えるライバルを演じる屋良朝幸がずいぶんと逞しくなった。他の舞台で揉まれていることもあるのだろうが、このカンパニーに意識の高さを充分に認識し、「SOHCK」と共に成長をしてきたのだろう。座長は、こうしてカンパニーの意識を高め、自らが引っ張ってゆくことが素質として求められる。この膨大なエネルギーが、あの細い身体のどこにあるのか、と不思議な想いがする。
役者は、さまざまな点で自分の限界に挑戦し、それを乗り越えようとするものだ。それが役者の「業」なのかも知れない。堂本光一は、タイトルの如く、「Endless」にこの舞台にチャレンジすることが一つの使命なのだろう。ファンもそれを待っている。3月末までに帝国劇場で76回の公演を終え、9月には大阪、10月には博多と上演が続く。どこまでも走り続ける堂本光一という青年の姿は、長距離ランナーの孤独に似たものなのかも知れない。ランナーとの違いは、まだ彼の眼には、ゴールは見えていないのだろう。