諸田玲子の小説『きりきり舞い』を原作に、田村孝裕の脚本、上村聡史の演出で、田中麗奈の主演で「時代劇コメディ」が上演されている。加藤雅也演じる十返舎一九の娘・舞を田中が演じ、熊谷真実の一九の妻・えつを中心に、板尾創路の葛飾北斎、篠井英介の踊りの師匠・勘弥姐さんなどの「奇人」ばかりが集まる中での騒動を描いた二幕物だ。最近の時代劇では、洋楽が使われることにだんだん観客も違和感がなくなって来た。こういう方法も悪くはないが、今回の場合で言えば科白のアクセントが現代調の役者と、時代劇の役者が混在していた。これは、どちらかの時代でまとめた方がすっきりしただろう。一幕、二幕がそれぞれ80分で十一場、十二場と場面転換が多いが、昨今ありがちなテレビのカットのようなめまぐるしさではなく、見せるべき場面にはきちんと時間を掛けている創り方には好感が持てる。若い感性が大劇場演劇の中で、どういう才能を発揮してくれるか、これは今後の演劇界に大きな期待が寄せられると同時に、試行錯誤を繰り返さなくてはならない問題でもある。
舞台全体を見渡すと、誰かが突出して巧い、というわけではなく、「きりきり舞い」のチームとしての芝居づくりのような感覚がある。これはこれで一つの方法だろう。その中では、熊谷真実の安定感としなやかさが抜群だ。笑わせるところは笑わせ、締めるところは締め、と芝居のメリハリが利いている。明治座への出演が今回で12回目ということだが、その理由が納得できる。安心して芝居を任せられる役者だからだ。主演の田中麗奈、舞台の経験がそう多いわけではないが、意外に舞台に向いているところがあるかもしれない。もう少し弾け切ってしまえば、もっと大きな笑いを生むことができただろう。場数を重ねて体験することだが、予想よりも良い出来だ。加藤雅也の十返舎一九は、最初は容姿が邪魔をしている部分があったが、後半になって自分の心情や過去に触れる辺りから芝居が深まって行った。舞台映えをする恵まれた身体を活かせるような場面が、もう一つ二つ欲しかった。舞の幼な馴染みで北斎の娘・お栄は南海キャンディーズの「しずちゃん」として人気を博している山﨑静代。大柄な体格で男のようにぶっきらぼうな口を利くが、実に丁寧に真面目に芝居をしている。その個性ゆえに役柄を選ぶかもしれないが、この舞台では個性と役柄がぴたりと一致した。篠井英介の踊りの師匠ぶりが賑やかだが、これだけではもったいない。せっかくの得難い個性をもう少し幅広く見せる方法はなかっただろうか。
十返舎一九や葛飾北斎、この芝居には登場しないが東洲斎写楽、喜多川歌麿などが生きた幕末に近い江戸時代末期は、強烈な個性の持ち主がぞろぞろいた時期で、芝居の材料としては大きな魅力を持った時代だ。その中で、今回は戯作者である十返舎一九とその家族にスポットが当たった作品だが、個人だけではなく、この時代が持っていた、煮え滾るようなエネルギー感が芝居の背後に流れていれば、もっと芝居に厚みが出て面白くなっただろう。そこに登場する奇人変人の生き方が、もしかするとまっとうな人々として、より鮮明に浮かび上がったかもしれない。
芝居全体の出来としては悪くはないのが、脚本がもう少し深く人物を書き込んであれば、もっと鮮明でエネルギーに満ちたコメディになっただろう。それが惜しいが、今後に期待することにしよう。