第九夜【「一人芝居」について】(2020.07.27)
佐藤 こんばんは。早いもので、コロナ禍の中での自粛を受けて始めたこの『演劇夜話』も九回目ですね、先生。
中村 「三か月目」に入った、ということだね。それにしても、今日はやけに積極的だね。
佐藤 いつも先生から聴いてばかりなので、今日は僕の方から「お題」を出したいな、と思っているんです。
中村 熱心で結構。それで、タイトルのように「一人芝居」を? 佐藤 はい。最近、一人芝居に凄く興味があるんですよ。そんなに多くの本数を観ているわけではないんですけれど。井上ひさし(1934~2010)さんの『化粧』も素晴らしいじゃないですか。批評家として、先生は一人芝居をどうお考えですか?
中村 うむ。それよりも、君は俳優としてなぜ、興味を持つの? 先にそれが聞きたいね。
佐藤 芝居の規模としては大きなものではないかもしれないですが、劇場のお客さんの視線がすべて集中している中で、役者として持っているすべての物をどこまで出せるかという「勝負」じゃないですか。相手役がいませんから、すべては僕の責任だし。そういう状態でどこまで自分が闘えるのか、もちろん、相当難しいことはわかるんですが、何とか挑戦したいと思うんです。本当は、それまでにもっとたくさん勉強しておかないといけないことはあるんですけれど。憧れの島田正吾(しまだ・しょうご、1905~2004)先生が『白野弁十郎(しらのべんじゅうろう)』を上演しているのも大きな理由ですね。「一人芝居」の舞台に立つ、のは役者としての願望であり「欲」ですね。
中村 意気盛んだね。では、君の質問に答えようか。思い返せば、結構な数の一人芝居を観ているかもしれない。今、君が言った『白野弁十郎』。これは、エドモン・ロスタン(1868~1918)の『シラノ・ド・ベルジュラック』の大詰めを翻案した作品だね。他には、ロシアのアントン・チェーホフ(1860~1904)の『煙草の害について』、これは柄本明(えもと・あきら、1948~)が何度も上演していて、この間もリモートで本多劇場からの上演を中継していたけれど、僕が観たのは初演じゃなかったかな。フランスのジャン・コクトー(1889~1963)が電話を巧みに使った『声』は、珍しいことにアニメの『オバケのQ太郎』の声優で名を馳せた曽我町子(そが・まちこ、1938~2006)がやったのを高校時代に観たな。後は、バリー・コリンズという作家の『審判』という凄い一人芝居があるけれど、これはあえてまたの機会にしよう。
佐藤 いろいろな作品がありますからね。外国の作品もかなり多いのは、国を問わず劇作家が一人芝居に魅力を感じるからでしょうかね。
中村 一人芝居は当たりはずれと言うとおかしいが、出来の差は激しいかもしれない。何しろ一人だからね。さっき話に出た『化粧』、あれは初演が今はなくなってしまったけれど、日本橋の「三越ロイヤル・シアター」という劇場で、当時大学生だった僕は、三越本店の「三越劇場」でアルバイトをしていたんだ。1982年に、ロイヤル・シアターで「女優による一人芝居六本立て」という公演があり、昼三本、夜三本を上演してね。宮本研(1926~1988)、水上勉(みずかみ・つとむ、1919~2004)、アーノルドウェスカー(1932~2016)、岡部耕大(おかべ・こうだい、1945~)などの作品が並んで、その一本が『化粧』だったんだよ。
佐藤 凄い舞台を観ているんですね。
中村 劇場のアルバイトは、素晴らしい勉強場所だったからね。
佐藤 『化粧』はその後、形を変えて、出演者も渡辺美佐子(1932~)さんから有森也実(ありもり・なりみ、1967~)さんになり、今も上演が続いている名作ですね。
中村 そうだね。他に、坂本長利(さかもとながとし、1929~)さんという、今年91歳になる方が、約半世紀をかけて、実に1,300回を超えてなお上演を続けている『土佐源氏(とさげんじ)』という作品があるんだ。これは、民俗学者の宮本常一(みやもと・つねいち、1907~1981)の『忘れられた日本人』(岩波文庫)という本の中にあるエピソードを、坂本さん自らが脚色したもので、高知県、昔の土佐で牛馬の売り買いで生計を立てていた「馬喰(ばくろう)」の若き日の色懺悔(いろざんげ)を一人で演じる物。『化粧』と共に、双璧と言ってもよい日本の作品ではないだろうか。
佐藤 凄いことですね。僕の想像の範囲を遥かに超えた難しさ、なんていう簡単な言葉では表現できないんでしょうね。
中村 そうだと思うよ。でも、君はそれにあえて「挑戦」したいんだよね?
佐藤 そうです。やはり役者には魅力的な素材なんだと思います、一人芝居は。
中村 問題は、その演技でどれだけ登場人物やそのドラマに肉迫し、表現できるかだろうね。
佐藤 先生は一人芝居を書きたいと思ったことはないんですか?
中村 一人芝居は未上演の物を含めて六、七本あるんじゃないかな。
佐藤 なぜ書きたくなるんでしょうか。
中村 創作活動をする人のタイプで別れるだろうけれど、僕はたまに戯曲を書く場合、大人数を動かす大劇場演劇の作品は苦手で、むしろ少人数で長くならない芝居の方が適しているような気がするんだ。そもそも、劇作の勉強をきちんとしてきたわけではないし。もちろん、それ以前に一人だから簡単、と言うものではないけれどね。
佐藤 物語の掘り下げ方とかが難しいんでしょうか。
中村 それもあるし、舞台にいる人物だけではない、他の人物の存在や感覚、物語をどう表現するかという難しさはあるね。
佐藤 役者の感覚と似てますね。
中村 そうなのかな。僕にはそれはわからないけれど、比較的役者の生理に近いものがあるのかもしれない、と言ったら役者さんに叱られるね。同時に、一人しかいない舞台で、何人の人物を観客に感じてもらえるかという書き手としての挑戦もあるだろうね。ただ、一人芝居と言っても、創るプロセスで関わる人の数や手間は他の作品とそうは変わらないからね。
佐藤 実は、僕も数年前から上演したいと思って温めている作品があるんです。何年か前の誕生日プレゼントにいただいた本で、短編集でどれも面白かったんですが、その中のある作品に惹かれて、これをどうしても一人芝居でやりたいな、と思って…。
中村 誰の何ていう作品?
佐藤 …うーん。作者は新田次郎(にった・じろう、1912~1980)さんなんですけれど、そこから先はまだ勘弁してください。
中村 それは小説だよね?
佐藤 はい。
中村 では、小説として完成した作品のテーマや味わいを損なうことなく、舞台化の「脚色」という作業をしてくれる劇作家を探すことが必要だね。いつ頃、上演したいの?
佐藤 何とか30歳までには、と思っています。
中村 意気込みは買うけれど、いくつもの難関を超えなくてはならない壮大な野望だね。
佐藤 はい!でも、それを乗り超えて、いくつもある夢を一つずつ実現したいんです! そのためには、「勉強」をしなくてはならないんですよね! 中村 今日は締めの言葉を取られたね(笑)。では、その夢の実現の日が近付いて告知ができる日を楽しみに待ちましょう。