【第十九夜】「歌舞伎の愉しみ」(2020.10.05)

佐藤 先生が歌舞伎に初めて触れたのは何歳ぐらいだったんですか?

中村 遥かな記憶の彼方だけれど、半世紀近く前ではないかな。なぜ?

佐藤 今になって、という話なんですけど、最近、歌舞伎の面白さにハマってるんですよね。

中村 ほう。君はどんなところを面白く感じるんだろう?

佐藤 歌舞伎って「古典芸能」じゃないですか。でも、演じる役者さんによっては凄くリアルだったり、ストーリーも破天荒で今でも充分面白いし、感覚的に新しい、と思うような場面もあったり。いろいろな部分で刺激的なんです。

中村 どんな演目を観てそう思ったの?

佐藤 そうですね…。「コロナ禍」で休演になる直前の二月の歌舞伎座で観た『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)という作品。学問の神様の菅原道真の半生を描いた長編で、最初は「難しいのかな…?」と思ったんですけど、意外にスッとドラマに入れました。もちろん、意味のわからない台詞もあったり、義太夫が聞き取れずに戸惑ったりしましたが、突然人間が人形に変わったりとか、今の芝居では「そんなのありえない」っていう場面でも、それが不自然じゃなく物語になっているんですよ。

 この舞台では、実際の菅原道真に当たる「菅丞相」(かんしょうじょう)を演じた片岡仁左衛門(かたおかにざえもん)さんの情と品、台詞が素晴らしかったです。

中村 お父さん以来の当たり役だからね。

佐藤 最近では、九月に歌舞伎が再開された時の、『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)という、怪談のような怖い踊りがあるんです。松本幸四郎(こうしろう)さんの与右衛門(よえもん)がカッコいいのと、市川猿之助(えんのすけ)さんの累(かさね)に色気があって、でも怖いんです。

中村 二人のイキがぴたりと合った舞台だったね。

佐藤 そうなんですよ! 料金の問題はありますけど、毎月全部観たいですね。

中村 なぜ、そんな勢いで歌舞伎に取り憑かれたんだろうね(笑)。

佐藤 前に、先生の講義で「歌舞伎には日本の演劇のほとんどの要素が詰まっている」という話があって、観始めたんですよ。

中村 うかつなことは言えないね(笑)。

佐藤 そうじゃなくて、僕たちが演じる作品は、時代劇もありますけど現代劇も多いじゃないですか。でも、その元って言うのかな、それを辿ると、とっくの昔に歌舞伎で使われていたりするものがいっぱいあって。「古典」だからイメージ的には何となく「古いものばっかり」じゃないのかな、と思っていたら全く違うんですよ。そこが面白くて。

中村 だからこそ、400年以上も多くの観客に指示されているんじゃないかな。勘違いされがちな部分ではあるけれど、「伝統」はただ昔の物をそのままやっていれば継承できる、というものではないと僕は考えているんだ。どこかを破壊し、新しい風を入れながらでなければ、長い年月にわたって続けることはできない、と。これは「茶道」や「華道」など、他の「伝統文化」でも言えることではないか、というのが持論なんだ。

佐藤 そうですね。先生はよく「芸能は変容する宿命を持っている」って言いますけど、だからこそ続くんですね。

中村 そうだね。たとえば、100年前の東京と今とでは全く違うし、そこに暮らす人々の生活も感覚も発想も違う。そこで、まるっきり同じものでいいのだろうか、と。ただ、ここで間違えてはいけないのは、「土台」にある歌舞伎というものをキチンと押さえて、その上に立っていることが必要、という前提。何でもかんでも新しく変えればいいというものではないところに難しさもあるね。

佐藤 僕は歌舞伎俳優ではないですけど、三味線でも踊りでも台詞でも、長い年月の鍛錬があってこそ、というところ。同じ俳優を名乗っていても、他の分野の作品ならすごく下手でもできるかもしれませんけど、「歌舞伎」だけはできません。その「芯の太さ」に憧れもしますね。

中村 それが「歳月」ないしは「伝統」というものの一部ではないのかな。

 この「コロナ禍」の中でも、できる限りの「感染予防」の対策を講じて、八月に幕を開けた大劇場演劇は「歌舞伎」だったからね。ライブで観客を楽しませるものは、分野に関係なく苦しい想いをしたけれど、大劇場での公演で再開の先陣を切ったのは今、流行の最先端にあるものではなく、古典芸能の歌舞伎だったのは、象徴的なんじゃないだろうか。

佐藤 どういうことですか?

中村 歌舞伎の400年を超える歴史の中で、災害や疫病、戦争などの自然・人的現象に脅かされ、江戸時代には政治的な弾圧を受けたこともしばしばあったわけでしょ。それでもなお、今まで生きながらえているのは並大抵のことではないと思うよ。歌舞伎には、それだけの底力や奥の深さがあり、だからこそ面白いのではないかと思うんだ。その時々で大変な目に遭っても、ちょっとやそっとでは倒れないような「厚み」を持っている、とでも言うのかな。

佐藤 400年ですかぁ。

中村 俳優には「芸歴何年」という数え方があり、分野ごとに始まりが違って、そのジャンルが「何年」という数え方もできるよね。年数にこだわる必要はないけれど、やはり歳月の重みは、侮れないのではないかな。歌舞伎の愉しみはいろいろあるけれど、子役、あるいは若い時代から応援している俳優と、観客が最も長い歳月を重ねることもその一つじゃないかと思う。双方が共に「熟成」をすることで、年代によって味わいも変わるし。

 同じ演目を20代で観た時の気持ちと30代、40代では観客の受け取り方も変わるだろうし、演じ手ももちろん変わっているだろうし。こういうケースはなかなかないね。

佐藤 確かにそうですね…あっ、ありました! ミュージカルですけど、歌舞伎の松本白鸚(はくおう)さんが演じている『ラ・マンチャの男』はそうじゃないですか!

中村 そうだね。1,300回を超え、50年の歳月を掛けて演じて来た作品。歌舞伎ではないけれど、森光子の『放浪記』、杉村春子の『女の一生』、山本安英(やすえ)の『夕鶴』なども、主演が変わらずに回を重ねて来た芝居だね。

 ただ、こうした作品は、次の世代が継承して演じる例が少ないから、「伝統」として残ることが難しいね。中には、演じた俳優の個性と一体化して、その俳優が亡くなると他の人ではできない作品もあるからね。歌舞伎の強みはそこで、作品さえあれば、出演者を変えながら連綿と演じ続けることができること。「劇団四季」の『キャッツ』『ライオンキング』、東宝の『レ・ミゼラブル』『エリザベート』といったタイプのミュージカル作品は、こういう部類に入るだろうね。作品の魅力はそのままに、役者が変わった時にどう見えるかという違いを楽しめる点でも歌舞伎と共通だし。

佐藤 そうですね。大劇場も徐々に再開しましたから、なるべく多くの歌舞伎を観たいと思います。やはり、何でも「基礎」が大事、ということなんですね。

中村 この頃、僕の締めの言葉を先取りするようになって来たね。でも、その通りだと思うよ。では、今日はこの辺りにしましょう。

(了)