ミュージカルや小劇場など一部の舞台を除いて、演劇人口の高齢化も世間と同様に進んでいる。中心を担うべき俳優も50代から60代、そして70代へと世代が代わり、それに伴い作品の内容も変化を遂げた。中年期の「自分探し」や「家族」をテーマにした作品が多かった時期を過ぎ、今は「老い」や「死」とどう向き合うか、をメインテーマとした作品が増えたようだ。新作もあれば旧作もあるが、今回、加藤健一事務所が上演している『黄昏の湖』は、『黄昏』『ゴールデン・ポンドのほとりで』などのタイトルでも上演を重ねられてきた「名作」である。

 作者のアーネスト・トンプソンは、1949年の生まれで現在76歳。半世紀近く前の28歳の折に、老境にある夫婦の心情を中心に描いた家族の物語はヒットし、初演の3年後にはヘンリー・フォンダと実の娘のジェーン・フォンダ、キャサリン・ヘプバーンの出演で映画化され、アカデミー賞も受賞した作品だ。

 名作と書いたが、何か劇的な事件が起きるわけではない。「ゴールデン・ポンド」と呼ばれる湖のほとりの別荘で、80歳に手が届こうといういささか気難しく皮肉屋の夫と、明るい70歳間近の妻が48回目の夏を過ごしている。そこに家族が訪れ、ひと夏がゆっくりと去り、夫婦は別荘を後にする。老姉妹が主人公の『八月の鯨』と似た味わいがある、と言ってもよいかもしれない。

 夫のノーマンが加藤健一、妻のエセルが一柳みる、娘のチェルシーが加藤忍、幼馴染みで郵便配達のチャーリーが伊原農、チェルシーと再婚する歯科医のビルが尾崎右宗、チェルシーの先夫の子・ビリーが澁谷凛音という顔ぶれで、出演者は全部で6人。

 ノーマン夫妻が別荘に着いたところから始まり、ひと夏の間に、暫く会わなかった娘が、再婚相手、前夫との間の孫を連れて訪れる。父親と娘は長い間、意志の疎通が上手くできずにいたが、ようやく二人の間にも雪解けムードが漂い、夫妻は夏の終わりと共に別荘を片付け、出てゆくところで幕が下りる。

 あらすじだけを書くと何ということのない物語だが、淡々と進むドラマだけに、台詞一つの比重が大きい。大勢の人物が登場するわけでもなく、俳優の力量がそのまま出る難しさがある。演出の西沢栄治は、この芝居が退屈にならぬようにメリハリを保ちながら、それぞれの俳優の個性を引き出し、活かすように丁寧な台詞と間、抑揚を求めたのではないか。だとすれば、その効果は充分にあがっていたと言えよう。

 加藤のノーマンは、頑固な反面、時々ユーモアを見せるがその感覚も古びてしまった老人、という男性を丁寧に演じて見せた。一人芝居『審判』を上演したくて事務所を立ち上げ、今年で45年、これが120回目の公演になる。ずいぶん多くの作品を上演してきたと感心するが、この役には滋味を感じるようになった。加藤自身がそれだけ年を重ねたということだが、「味」は年齢だけで出るものではない。長年使い込み、あちこちに細かなひびが入った茶碗のような、唯一のものだ。その滋味が、皮肉や頑迷、笑いや哀しみ、愛情など、さまざまな変化を見せる。その中で、老いの真っ只中にいる人物が悲観的な言葉を漏らすのは当然だが、嫌味にならずに自然な言葉として響くのがよい。

 一柳のエセルは、対照的に明るく、よく動く。喋って動いてと大活躍だが、それが段取り芝居にならず、自然な生活感の中での行動に見えるのは、やはりベテランの味だ。幕切れ近くに、夫が体調を崩して倒れる場面があるが、その僅かな時間の芝居に、半世紀の夫婦の愛情を感じる。

 娘の加藤忍、役柄上いささかエキセントリックに見せなくてはならないが、父との和解に至る会話の部分で彼女の女優としての本領が見える。娘ではありながら父に対して素直な愛情表現ができずに突っ張って生きてきた今までの人生を、涙で洗い流すような芝居だ。誰しも捨てたい、忘れたい過去がある。しかし、時には嫌でも向き合わねばならないこともあるのだ、ということを、20代後半の作家が書いた脚本が教えてくれる。何度か観ている作品でも、そのたびに新たな発見があるものだ。これが、芝居を観る醍醐味の一つでもある。

 チェルシーの再婚相手のビルは尾崎右宗。さして登場場面が多いわけではないが、爽やかな印象を残す。新しい義理の両親に対する思いやりが、ふとした瞬間に感じられたのがよかった。さりげないのだが、最近、こういう細かな工夫を見せてくれる役者が少なくなった中で、安心して観ていられる俳優だ。

 元気な中学生の孫は澁谷凛音。ああいう時期もあったのだな、とのイメージを観客に想起させる元気溌剌ぶりが頼もしい。

 嘘か真か、人生は100年の時代に入ったという。健康はむろん大事だが、その中で半年でも一歳でも若く見せるアンチエイジングが世の中を席巻し、年を取ることが罪悪のように感じさせられることがある。しかし、どんな工夫や鍛錬をしても年を取らない人はいない。未知の領域へ踏み出す怖さもある一方で、年を重ねた生き方の楽しさもあるのだ。残された時間はどんどん少なくなるからこそ、人生の一瞬が大切なのだ、ということを改めて考えさせられた。

まとまった6人の密度の濃い好演のおかげで、そんなことをも考えた。その分、私も年を取ったのかもしれない。