朗読劇が花ざかりの昨今だが、成功の条件はシンプルだ。「脚本がしっかりしていること」「読み手が巧いこと」。この二つしかない。その代わりに、この二つがうまく組み合わさるケースはなかなかない。大道具や衣装の経費が節減でき、役者の人数も通常の舞台公演よりは少なくすむために、制作する側は楽に見えるが、舞台の幕が上がれば、役者は「逃げ場」がない。それだけに、よほどの練達の腕がないと、成果が出ない。条件がシンプルであればあるほどに、成功は難しくなる。
『死の舞踏』は、イプセンと並んで北欧を代表するとも言える劇作家・ストリンドベリの作品で、今回は朗読劇用に笹部博司が脚本を作り直し、映画監督の小林政広が演出に当たった。出演者は、仲代達矢の夫、白石加代子の妻、妻の従兄弟・クルトの益岡徹の三人のみ。北欧の小さな島に住む結婚25年を迎える夫婦のもとへ、妻の従兄弟が島の検疫所の所長として赴任することになり、訪ねて来る。しかし、この夫婦は25年にわたり、お互いに憎しみ合い、罵り合うことだけが生き甲斐とも言えるような変わった夫婦だ。二人の尋常ならざる関係にクルトも呑み込まれ、荒波の音が猛々しく響く小さな島での、息苦しいまでの人間の姿が炙り出される…。
舞台装置は、数脚の椅子だけで、出演者は台本を片手にしている。台本をまるっきり読んでいるわけではなく、台本を持ちながら芝居をしているような感覚だ。動きも多く、座る場所や椅子の数を変えることで、家の中での距離感や、外との区別を付ける演出はシンプルながら効果的だ。
この一風変わった夫婦を演じる仲代・白石のコンビが持つ言葉の力の強さは、凄まじいまでのものがある。舞台の上で、抜き身の刃で切り付け合っているような感覚の台詞が、おどろおどろしいまでの情念と共に吐き出される。しかし、それだけに終始する陰惨なだけでの芝居ではなく、客席にはしばしば笑いが起きる。マイナスイメージを持つ台詞を、プラスのイメージの笑いに変える腕、だろう。もう一つ、二人の台詞が緩急自在なのと、間に入った益岡徹が、良い緩衝材の役割を果たしている。出過ぎるわけではないが、自分の芝居キチンと演じているさりげなさに好感が持てる。
また、台詞自身が毒を吐き続けるだけではなく、真っ白な絹の中に毒を忍ばせたような笑いを持つ部分があり、そのバランスが良いからだろう。
役者が巧ければ、という条件付きでこうした朗読劇が成立する一方で、台詞一言が持つ言葉の凄みや怖さを感じさせる芝居でもある。舞台の上での真剣勝負にもいろいろあり、互が鎧甲冑に身を包んでいる場合もある。この芝居は、台詞の一つびとつを居合抜きで切り裂いて行くような感覚を持たせた。タイトルの『死の舞踏』にちなんだカーテンコールが洒落ている。