あまり大きな声で言うほどの話ではないが、人よりも15年ほど遅れて「韓流」のドラマに熱を上げている。歴史物の大作で、全51回というスケールはNHKの大河ドラマ並みだ。厳密に言えば、CMもなく本編だけで1回が60分だから、大河ドラマよりも遥かに長いことになる。

 私が気に入った理由の一つは、日本の昨今のドラマとは違い、丁寧に造ってあることだ。衣装や小道具にも相当の費用を掛けているし、ロケも厳寒・酷暑を問わない。脚本に何よりも丁寧で緻密な伏線が張り巡らされており、大雑把な言い方をすれば30年から40年前の日本の映画やテレビの造り方に近い。そこにも親近感を持ったのは事実だ。

 しかし、長い放送が終わってみると、懲りずに「もう一本、面白いのはないか…」となるのは誰しも同じだ。そこで、あることに気付いた。「次の一本」を探す折に、溢れ返っている韓流の作品を見渡してその中から選ぶのではなく、先日まで観ていたドラマの中で、お気に入りの俳優が出ているのは何かないか、という探し方をする。

 これは、私が少年の頃、歌舞伎を観始めた時と同じだ。予想よりも面白い、次を観たい、という段階で、歌舞伎の歴史や演目について何かを勉強しようとするのではなく、覚え立ての役者の名前で、「この人は、いつ、どこへ出るのかなぁ…」と思いながら、インターネットのない時代に新聞の広告を眺めていた。そういう時期を経て、私の歌舞伎の世界は広がった。これは、今、レンタルビデオ屋と場所こそ違え、私が次の韓流ドラマを探している思考回路と全く変わりはない。

 考えてみれば、映画少年だった頃もそうだった。アル・パチーノやジュリアーノ・ジェンマに憧れたからと言ってイタリア映画の事やアメリカ映画の歴史など知りもしなかったし、グレース・ケリーやカトリーヌ・ドヌーブの美しさをひたすらに他の作品に求めた。その癖に、フランス映画のことなど今もって何も知らずにいる。原作を読んでから出かけたのは、角川映画が横溝正史のシリーズでブームを巻き起こした折に、おどろおどろしい題名に惹かれて興味本位で『犬神家の一族』や『獄門島』を読んだぐらいのものだろう。

 あちこちで芸能に関する話をする折に、「まずは役者に惚れてください。贔屓を作ってください」と言うのだが、それは私の実体験を無意識に話していたことになる。もちろん、芸能への入り口は役者ばかりではない。歌舞伎の義太夫の竹本葵大夫は、初めて歌舞伎に出かけた折に、舞台よりも義太夫に惚れ込み、そのまま現在の道へ進んだ、と聞いたことがある。間口が広いのが庶民の芸能の魅力の一つでもあり、他にもいくつも入り口があろう。どこから入ろうと一向に構うことはないのだ。

 韓流ドラマについて言えば、まだ入り口へ立ったばかりで、役者の名前もろくに判らないで観ている。そして、いいようにドラマに引っ張られ、カッカしたりドキドキしたりしている。大袈裟に聞こえるかも知れないが、こんな幸福を長い間味わうのは何十年ぶりのことだろうか。何しろ、初心者で何も判らないのだ、「批評」の必要がないし、他のドラマや映画を観てグズグズ言う気にもならず、一視聴者として楽しめることの魅力、これが一番大きい。そのためにも、あまり詳しくならずにいようと考えている。

 あまり大きな声で言うほどの話ではないが、人よりも15年ほど遅れて「韓流」のドラマに熱を上げている。歴史物の大作で、全51回というスケールはNHKの大河ドラマ並みだ。厳密に言えば、CMもなく本編だけで1回が60分だから、大河ドラマよりも遥かに長いことになる。

 私が気に入った理由の一つは、日本の昨今のドラマとは違い、丁寧に造ってあることだ。衣装や小道具にも相当の費用を掛けているし、ロケも厳寒・酷暑を問わない。脚本に何よりも丁寧で緻密な伏線が張り巡らされており、大雑把な言い方をすれば30年から40年前の日本の映画やテレビの造り方に近い。そこにも親近感を持ったのは事実だ。

 しかし、長い放送が終わってみると、懲りずに「もう一本、面白いのはないか…」となるのは誰しも同じだ。そこで、あることに気付いた。「次の一本」を探す折に、溢れ返っている韓流の作品を見渡してその中から選ぶのではなく、先日まで観ていたドラマの中で、お気に入りの俳優が出ているのは何かないか、という探し方をする。

 これは、私が少年の頃、歌舞伎を観始めた時と同じだ。予想よりも面白い、次を観たい、という段階で、歌舞伎の歴史や演目について何かを勉強しようとするのではなく、覚え立ての役者の名前で、「この人は、いつ、どこへ出るのかなぁ…」と思いながら、インターネットのない時代に新聞の広告を眺めていた。そういう時期を経て、私の歌舞伎の世界は広がった。これは、今、レンタルビデオ屋と場所こそ違え、私が次の韓流ドラマを探している思考回路と全く変わりはない。

 考えてみれば、映画少年だった頃もそうだった。アル・パチーノやジュリアーノ・ジェンマに憧れたからと言ってイタリア映画の事やアメリカ映画の歴史など知りもしなかったし、グレース・ケリーやカトリーヌ・ドヌーブの美しさをひたすらに他の作品に求めた。その癖に、フランス映画のことなど今もって何も知らずにいる。原作を読んでから出かけたのは、角川映画が横溝正史のシリーズでブームを巻き起こした折に、おどろおどろしい題名に惹かれて興味本位で『犬神家の一族』や『獄門島』を読んだぐらいのものだろう。

 あちこちで芸能に関する話をする折に、「まずは役者に惚れてください。贔屓を作ってください」と言うのだが、それは私の実体験を無意識に話していたことになる。もちろん、芸能への入り口は役者ばかりではない。歌舞伎の義太夫の竹本葵大夫は、初めて歌舞伎に出かけた折に、舞台よりも義太夫に惚れ込み、そのまま現在の道へ進んだ、と聞いたことがある。間口が広いのが庶民の芸能の魅力の一つでもあり、他にもいくつも入り口があろう。どこから入ろうと一向に構うことはないのだ。

 韓流ドラマについて言えば、まだ入り口へ立ったばかりで、役者の名前もろくに判らないで観ている。そして、いいようにドラマに引っ張られ、カッカしたりドキドキしたりしている。大袈裟に聞こえるかも知れないが、こんな幸福を長い間味わうのは何十年ぶりのことだろうか。何しろ、初心者で何も判らないのだ、「批評」の必要がないし、他のドラマや映画を観てグズグズ言う気にもならず、一視聴者として楽しめることの魅力、これが一番大きい。そのためにも、あまり詳しくならずにいようと考えている。