1948年にヒットしたアメリカ映画で、二人の老女が主人公の珍しいコメディだ。日本での初演は1951年7月、東京・日本橋の三越本店内の三越劇場で、「三越現代劇第二回公演」として轟夕起子、三島雅夫らによるものだ。その後、賀原夏子が率いるコメディ専門の劇団NLTが1987年に初演し、1991年、1998年、2002年と好評を受けて繰り返し上演しており、1991年に賀原が亡くなってからは、客演の形で淡島千景、淡路恵子の二人が演じた。コメディに興味を示す役者は多いが、かなり高度な技術を必要とするのも事実だ。
日本の喜劇の場合、その人が出て来ただけで、持っている雰囲気で笑わせる芝居がたくさんある。その筆頭と言ってわかりやすいのは藤山寛美だろう。これは良い悪いの問題ではなく、こうした喜劇は役者個人の財産にはなり得るが、他の人が継続して演じるのは難しい。日本では喜劇のことを一段低く見て「アチャラカ」という呼び方もあったが、これとても役者同士の「間」や「イキ」が合わなければ、面白くも何ともないものになる。
海外のコメディの場合は、緻密に台本が書かれているものが多く、作者が計算した「笑い」を、演者がどう見せるかに腕の見せどころがあるように思う。この『毒薬と老嬢』にしても、豪邸に暮らすアビィとマーサの老姉妹が、老い先の短い老人に毒の入った酒を飲ませ、安らかに旅立たせる、という殺人を全くの好意で行っている、というあり得ない状況が自然に見えなくてはならない。この非常識を呑み込んだ上で、二人が真っ当だと信じているおかしな行動や発言に笑わされることになる。つまり、役者に腕がないと、非常識な世界に観客をいざなうことができないのだ。
超高齢化がすさまじい現代の話なら多少のリアリティも加わるかもしれないが、今から約70年前に映画化された時点では、精神に異常を来した姉妹の行動に笑いを加えたという視点の方が大きかったはずだ。しかし、舞台の世界を遥かに凌駕するような事件が珍しくない現代では、この非常識で猟奇的とも言える世界に、観客は乗りやすくなっているのかもしれない。賀原夏子に劇団民藝の大ベテラン・北林谷栄が客演した時の二人のボケぶりが絶妙に面白かった。もちろん、この後の淡島・淡路のコンビも面白かったが、淡島・淡路のコンビは、この芝居には「美しい」のだ。失礼ながら、賀原夏子も北林谷栄も、決して美しさで売った女優ではない。その二人が、ふとした瞬間に「可愛らしい老嬢」に見えてしまうところに、配役の妙があり二人の腕があった。
劇団NLTの創立者であった賀原夏子は、1991年の『毒薬と老嬢』の巡演中に舞台を降板、翌年の2月に70歳で生涯を終えた。生命が燃え尽きる8ヶ月前に卵巣がんが見つかり、手術はしたものの手遅れで、「たかが芝居じゃないですか。降板してください」と懇願する劇団員に、「たかが命だろう」と言い返し、好きな煙草も止めることなく、芝居を続けた。しかし、病と闘いながらの舞台は想像を絶する過酷さで、激痛をこらえながら観客には病気を感じさせず大笑いさせ、袖に引っ込んだ途端に失神する、ということも一度ならずあったようだ。
脇役の多かった彼女が主役の芝居だから、という卑俗な話ではない。各地で「賀原夏子の笑い」を待っているお客様に、一度でも多くの笑いを届けたいという気持ちだ。作家の三島由紀夫が、彼女を評して「女の中の女」と言った理由はここにあるのではなかろうか。