戦後の一時期、新劇団が競って『桜の園』を上演していた時期があった。俳優座は東山千栄子のラネーフスカヤ、劇団民藝は細川ちか子、だいぶ後になって文学座の杉村春子と、それぞれの劇団の看板女優が演じている。この中で私が観たのは杉村春子の『桜の園』だけだが、さしもの名優・杉村春子もロシアの優雅な貴族夫人にはなれなかったのを覚えている。
お金に無頓着なラネーフスカヤ夫人が借財を重ねた挙句に、広大な桜の園を有する、子供の頃から育った家を手放すことになる。世間知らずの鷹揚な一族が没落する一方で、この土地を手に入れたのは、かつて貧しさゆえに馬鹿にされていた男だった。この人々のドラマを、作者のチェーホフは「喜劇」と銘打っている。作者の中の諧謔の精神が、この芝居の中に生きる人間たちが喜劇を演じているように、舞台で演じてほしかったのだろう。
私は東山千栄子のラネーフスカヤは映像でしか観たことがない。晩年、テレビのインタビューで、この役について語る時、「あたくしがモスコォにおりましたのは、ロシア革命の前の時代でございましてね。『桜の園』の初演もモスコォの芸術座で拝見いたしました。その時のラネーフスカヤは、チェーホフの奥様のマダム・クニッペルでしたのよ」と語るさまが、芝居の中のラネーフスカヤそのままで、「モスクワ」ではなく「モスコォ」と呼ぶ言い方が微笑ましかった。広く知られているこの女優の仕事は、小津安二郎の名作『東京物語』に笠智衆と登場する老婦人の役だが、実は、東山の方が十歳以上も年齢が上だったというエピソードがある。
今、日本は「格差」の問題が各所で叫ばれ、深刻化している。演劇界も同様だが、逆に言えば、今まで声高に叫ぶ必要が感じられない程度の格差しかなかったのは幸福でもある。『桜の園』にしてもミュージカル『マイ・フェア・レディ』にしても、格差や身分差という大前提の上で成立する芝居だ。芝居は、時に「人間は平等ではない」ということを、さまざまな角度から教えてくれる。この芝居にしても、そうした意味を多分に含んでいる。最近、上演がそう頻繁ではなくなったのは、時代の移り変わりの中で、作品のバックボーンになっている物が観客に体感として通じにくくなっているから、という理由は侮れないものがある。
作品はいつまでも燦然たる輝きを放っていても、それを取り巻く「時代」が変われば、状況は一変する。家を一軒持つのがどんどん大変な仕事になる中で、広大な桜の園をめぐる芝居は、今でこそ「喜劇」」に見えるのかもしれない。劇団民藝で演出家としても大きな仕事を遺した宇野重吉は、「チェーホフの『桜の園』について」という、原作よりも厚い本を出している。台詞の一言ずつにこだわり、どういう意味を持ち、どういう心境でこの台詞を発するのかを、学究的な立場ではなく、稽古場の演出家の眼で著わした貴重な書だ。尤も、最近はこんなに丁寧な芝居づくりをしている余裕がなくなっており、苛烈な稽古で役者を泣かせる演出家も減った。
そうしたことどもを併せて考えると、私の頭の中に見えるロシアの広大な「桜の園」の風景は、一陣の風の前の幻のようにも思える。先に述べた東山千栄子は、富士山が良く見える御殿場の地に、桜を植えた邸宅を持ち、高齢になって舞台やテレビの仕事からも退き、そこで眠るが如き大往生を遂げた。89歳であった。