「こいのたよりやまとおうらい」または「こいびきゃくやまとおうらい」と読む。宝暦7(1757)年の初演というから、約260年前の作品だ。この作品には原作があり、近松門左衛門の『冥途の飛脚』がそれに当たる。著作権のない時代は今とは考え方が正反対とも言え、先行作品の面白い部分をいかに「頂いて」、さらに面白く練り上げて見せるか、が歌舞伎の狂言作者の腕の見せ所でもあった。元よりそこには「剽窃」や「盗作」というマイナスのイメージはない。
歌舞伎の上方狂言の代表作の一つで、『封印切』『新口村』の二場面が上演されることが多い。大和から大坂の両替商に養子に出された忠兵衛は、遊女の梅川と相思相愛になるものの、金持ちのボンボンで底意地の悪い八右衛門に張り合われ、意地づくで店の金に手を付けてしまう。今で言えば「横領」だ。ようやく梅川を身請けはしたものの、大坂にいられるわけもなく、生まれ故郷の大和・新口村を目指す。ここまでが『封印切』。
忠兵衛の故郷へようやくたどり着いた梅川と忠兵衛の二人だが、ここにもすでに追手が回っている。一目、実の父・孫右衛門に会いたい、と願う忠兵衛だが、義理に縛られた孫右衛門は、いくら可愛い息子でも養子に出した先の養い親が牢に入れられた状況では、親子の別れをすることもできない…。ちょうど、上方で庶民が力を付け出し「家」という制度が確立し、家同士に「義理」の感覚が生まれて来た様子が、この芝居からも窺える。
苦肉の策で、すべての原因ともなった梅川が、孫右衛門に目隠しをさせ、言葉を交わさせずに、手を握り合って親子の別れをしたその時、追手がかかる…。雪の中、何とか我が子を落ち延びさせようとする老爺の姿が痛ましく、哀しい。『封印切』の忠兵衛は片岡仁左衛門、梅川は先代の四代目中村雀右衛門、孫右衛門は仁左衛門の父、十三世片岡仁左衛門の組み合わせを最も多く観ているのではないだろうか。梅川は六世中村歌右衛門、中村藤十郎の舞台も濃密な記憶があるが、雀右衛門の梅川が役に一番近かったように感じる。
「色男金と力はなかりけり」を地で行く忠兵衛の役は、上方の二枚目の色気と柔らかさが必要な役だが、大阪と東京を2時間40分で行き来できる現在、純然たる上方歌舞伎を求めることが難しくなっているのも事実だ。若手にも挑戦の仕甲斐がある役で、歌舞伎を代表する役柄の一つとして、いろいろな役者に手掛けてもらいたい、とも思う。忠兵衛の悲劇が浮き立つには、相手の敵役である八右衛門の芝居が巧くないと、面白くならない。悪役が憎らしいほど、悲劇は引き立つ。金は持っているが人には好かれない、というタイプの人間を、リアルに描写することで、忠兵衛と梅川の状況がより哀しさを増すのだ。
『新口村』は、ほとんどが孫右衛門と梅川の芝居で、演じ方によっては幕開きの忠兵衛と孫右衛門を二役替わる方法がある。ただ、孫右衛門は老け役で、歌舞伎で言うところの「肚」、深い心理描写と表現ができないと、ただめそめそと泣いている老人になってしまう。我が子の愚かさを嘆きつつも、毅然とした部分を持ち、それが最後には親子の情に負ける、という感情のせめぎ合いを自然に演じるのは難しい。最近の歌舞伎界が抱えている問題の一つに老け役の払底がある。上演頻度が以前に比べて少なくなったのは、この理由によるところが大きいだろう。一朝一夕には解決できない問題だけに、難しく、重要な課題である。10月、名古屋の顔見世での上演は、どのような結果になるのだろうか。