近松門左衛門の『夕霧阿波の鳴門』の改作である。文化5(1808)年に、この外題(タイトル)で初演されたと思われるが、そこへ至るまでの数多くの改作がなされており、その歴史をたどることは目的ではない。
華やかで艶やかな上方和事の代表作とも言うべき『廓文章-吉田屋』。師走の色街を舞台に、放蕩の挙句に勘当になった若旦那・藤屋伊左衛門が、馴染みの遊女・夕霧がいる「吉田屋」を訪ねて来る。今は一文無しの身の上でも、大事なお得意様のこと、店では主人夫妻が手厚くもてなすが、伊左衛門が気になるのは、想い人・夕霧のことだ。会えなくて怒ってみたり、やっと逢えれば拗ねてみたりと、駄々っ子同然の若旦那である。最後には、理由はわからないが、勘当が許され、果ては夕霧の身請けのための千両箱が舞台に積まれて幕となる。何とも「めでたい」芝居だ。しかし、こうした作品に理屈を求めることに意味はない。
江戸時代以来、歌舞伎の中を脈々と流れて来た「傾城買い狂言」の一つとして、その雰囲気や味わいをどう見せるか、が一番の問題だ。「紙衣」(かみこ)と呼ばれるつぎはぎの衣裳でも、大家の若旦那である悠揚迫らざる風情と、勘当されるほど廓で遊び尽くしてもなお、という男の色気。この雰囲気を見せられるかどうかが、すべて役者の腕にかかっている。荒唐無稽なストーリーであろうが、観客が舞台の美しさや楽しさに納得し、その味わいに酔うことができれば、この芝居の役割は果たしたことになる。時代物のようにキチンとした「型」があるわけではなく、役者がまとっている風情で見せる役だけに、役者の力量が問われる演目でもあろう。
伊左衛門は、近年では片岡仁左衛門、夕霧は坂東玉三郎、四世中村雀右衛門の当たり役である。上方狂言という成り立ちから、同じ関西の坂田藤十郎、中村鴈治郎も頻繁に演じており、初代中村鴈治郎が自らの当たり役を集めた『玩辞楼十二曲』(がんじろうじゅうにきょく)の中にも含まれている。ほぼ毎年上演されるほどの人気作品の一つで、若手では片岡愛之助も手掛けている。もっと時代を遡れば、十七世中村勘三郎、十三世片岡仁左衛門、二世中村鴈治郎など、昭和の名優が手掛けて洗い上げて来た作品でもある。
江戸・上方に限らず、役者の風情で見せる芝居は非常に難しい。この『吉田屋』にしても、幕開きからしばらく経って、花道から深編笠を被って出て来た伊左衛門が、踊るのではなく「振り」で、若旦那がうらぶれている様子を見せる。底冷えのする京の寒風に吹かれ、紙でできた着物をまとうほどに落ちぶれている。しかし、それでもみじめに見えない鷹揚な若旦那であり、色気を失わない役柄であることを観客に感じさせなくては失敗、ということになる。この場面で観客を『吉田屋』の世界に引き込んでしまえば、舞台へ出てどんなにバカバカしく稚気溢れる芝居をしようと、それは役者の魅力や味、と評価されることになり、役者の勝ちだ。多くの芝居で「花道の出が大事だ」と言われる。その理由は、こうした部分にある。
ギスギスした時代だからこそ、ありえないような虚構の空間と時間に設定された物語を楽しむ歌舞伎の楽しさが溢れた作品である。それをこれからの若い世代がどう引き継いで見せるのか。一朝一夕では出ない芸の「味」や「匂い」の難しさは、こうした芝居でも問われることになる。伝統を継承することの難しさを感じる芝居だ。役者には難しい宿題のような芝居だ。