耐震補修工事などで三年以上休館していた京都・南座で「吉例顔見世」の幕が開いた。通常、京都の顔見世は師走の風物詩と決まっているが、今年は十一月が新装開場に「高麗屋三代襲名披露」が加わり、十一月から歌舞伎の幕が開いた。お正月の歌舞伎座から始まった三代襲名披露興行も、四月の名古屋・御園座、六月の福岡・博多座、七月の大阪・松竹座を終え、大劇場での最後を歌舞伎発祥の地・京都で幕を開けたことになる。
夜の部は『寿曽我対面』から。片岡仁左衛門の工藤祐経、片岡愛之助の曽我五郎、片岡孝太郎の曽我十郎、片岡秀太郎の舞鶴、片岡進之介の鬼王新左衛門、上村吉弥の大磯の虎、という「松嶋屋」の一家一門に加えて、中村壱太郎(なかむら・かずたろう)の化粧坂(けわいざか)の少将と、上方勢での一幕だ。「東西合同顔見世」の意味と、新装開場した劇場、37年ぶりに二回目の三代襲名を行う高麗屋を、上方の役者が「寿(ことほ)ぐ」気持ちを込めての、いいスタートだ。
日本史の「三大仇討ち」の一つとしても有名な曽我五郎・十郎の兄弟が、仇と狙う工藤祐経(くどう・すけつね)にまさに「対面」し、後日の再会・対決を約して幕になる。その場で決着を付けないのがいかにも歌舞伎らしく、座頭役者、立女形、若女形、荒事、和事など歌舞伎の代表的な役柄が揃うのも人気の、華やかな芝居だ。
仁左衛門の工藤はきりりとした顔立ちと堂々の貫録を見せる。それに呼応するかのような秀太郎の舞鶴、力が漲る愛之助の五郎、柔らかみのある立役の風情が生きる孝太郎と、それぞれ適役で華やかな一幕になった。
続いて、『襲名披露口上』。一般的な「口上」のイメージは、裃姿の役者が舞台狭しと居並び、お祝いの言葉を述べるものだろうが、今回は歌舞伎界の最長老・坂田藤十郎と片岡仁左衛門の上方代表の二人が、襲名する三人を挟み、出演者は五人という形式だ。こうした形での口上も、シンプルで佳いものだ。
襲名披露狂言は、親子三代、三人で見せる『勧進帳』。この襲名公演では博多座以外では『勧進帳』を上演しているが、親子三人による上演は今回が初めてのことになる。松本白鸚の富樫、松本幸四郎の弁慶、市川染五郎の義経と、年齢的にも納まりのよい配役で歌舞伎の代表的な、かつ高麗屋に由縁の深い演目を上演できるのは、稀有なことだろう。
幸四郎の弁慶が、更に充実感を増し、役に重みが出て来た上に、何としても主君・義経を連れてこの関所を通るのだ、という気迫に満ちている。幕切れ近くに見せる「延年の舞」なども流れるようで、今回の襲名で見せた弁慶の中では最も優れた舞台ではなかろうか。白鸚の富樫は、情理を弁え、すべてを懐の中に納める人間の大きさがある。昭和から平成の「弁慶役者」が、今回は富樫に回り、だんだん芸容が大きくなる息子の姿を見られるのは、役者としての幸せだろう。同時に、「まだまだ負けてなるものか」という想いもあるだろう。舞台の上で、親から子、子から孫へと、まさに「芸の継承」が行われている。そうした芸の闘いの中にいる染五郎の義経、これから伸び盛りで、自分の新しい名に負けぬようにとの必死さに好感が持てる。
最後は中村鴈治郎の『雁のたより』。有馬温泉を舞台にした気軽な演目で、多少の善悪は絡むものの大仰でも陰惨でもなく、役者の風情ややり取りを楽しむものだ。主人公の髪結、三二五郎七(さんにごろしち)は鴈治郎が三回目。愛嬌のある顔立ちと、身に付いた上方弁の味わいで面白く見せる。ただ、東京の観客からすれば、一部、早すぎて聞き取りにくい部分があった。これに対する色男の金之助、上方の優男のぐにゃりとした幸四郎の色気が面白く、鴈治郎との掛け合いが客席の笑いを誘う。こうした柔軟さが、上方歌舞伎の面白さの一つでもあるのだ。
秀太郎のお玉が、上方の空気感と場を造っているのは見事な年功で、それは昼の部の『封印切』にも同様の感覚がある。上方の「女」ではなく、あえて「をんな」と表記したい雰囲気を持っている。坂東竹三郎、乳母で少し顔を見せるだけだが、86歳とは思えない達者ぶりには感心した。こうした気軽な演目で打ち出しにするのも、いかにも上方の芝居らしくていい風情だ。
まだ紅葉には早かったが、海外からの観光客も増え、いつにも増して賑やかな秋の京都。南座へ役者の名前を書いた「まねき」が上がるのは何とも嬉しいことだ。平成最後の顔見世は、順調な滑り出しだ、と言えよう。