「今時の若い者は…」という言葉は、古代ギリシャから使われていたとは有名なエピソードだ。同時に、「言葉の乱れ」も同様の問題で、現在でもファミリーレストランでのマニュアルに添った言葉遣いなどが指摘されることが多い。
最近は、テレビの時代劇などでも台詞のアクセントがまるっきり「現代」の言葉に聞こえることがあり、「…」とも想うが、そうしたことばの乱れが現代で指摘された大きな現象は「ら抜き言葉」だろう。最近では違和感がなくなったのか諦めたのか、咎める声もあまり聞かないが、「食べれます」「来れます」「着れます」など、「ら」を抜いた言葉は耳に心地の良いものではない。 こうした現象が社会で話題になっている頃に、言葉の問題を取り上げて舞台化したのが永井愛(1955~)の『ら抜きの殺意』だ。平成9(1997)年の発表後すぐにテアトル・エコーで初演、その評価は高く、翌年に第一回の鶴屋南北戯作賞を受賞している。以後も、この作品を取り上げる劇団は多く、笑いの中に社会問題を提起している点が評価されたのだろう。 通信販売の会社にアルバイトで入った男・海老名は言葉遣いに厳しく「ら抜き言葉」を嫌い、言葉遣いにも自分の意見を持っている。一方、社員で頻繁に「ら抜き言葉」を使い、意味が通じればいいだろう、程度の感覚で話す男・伴がいる。立場上は正社員である伴の方が強く、遠慮がちに言葉の乱れを指摘する海老名をうるさがる伴。やがて二人の間には殺意に似た感情が芽生え始める…。コメディを専門に演じて来たテアトル・エコーがまず目を付けて初演をした、というのがこの作品の本質を物語っている。 作品のタイトルは『ら抜きの殺意』だが、内容は「ら抜き」言葉だけにはとどまらない。一般的に「敬語」とされている言葉も「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三種類に別れ、時と場合に応じて使い分けなくてはならない日本語の難しさなど、「日本語の問題」が大きく横たわっている。言葉は時代と共に変化するものであり、今の若者が使っている言葉は私などの世代には意味不明の物も多い一方で、その逆の事態も起きている。さすがに「殺意」が生じることはないが、日常で困る場面はいくらもあり、「日本語は難しい」と言われる大きな理由の一つだろう。 言葉を操り、一本の芝居を書く劇作家が、「日常会話」をテーマに据えて作品にしたところに新しさも面白さもあり、誰もが使う言葉だけに多くの観客の支持も得られた。目の付け所に加えて、芝居の組み立ての巧さ、テンポ感のなせる技である。永井愛の多彩な劇作活動は高く評価されているが、その中でもこの作品は特筆に値する。
ここまで書いて気付いた事がある。今の我々が、「法律に反する言葉」を使っていることだ。放送禁止用語などではなく、日常生活の範囲だが、誰も矛盾を感じず、日本人固有の曖昧さでそのまま通用している。昭和30年代から40年代にかけて、以前の計量法である「尺貫法」による取引や証明が法律で禁止された。確かに75キロの体重の人が「私の体重は20貫(目)です」とは言わなくなった。しかし、居酒屋で「日本酒を180ミリリットル」とは言わず「一合」を頼み、パンを買いに出かけて「1ポンドください」とは言わずに「1斤」を買う。「これはどういうことだ!」と聞かれても、情けないことに答えが出ない。次は「尺貫法の殺意」だろうか。