昭和の演劇界の「ボス」的存在であると同時に、樋口一葉の小説の脚色、小説、俳句、オリジナルの戯曲などで、江戸の匂いや情緒を残す下町の人々の姿を描き、「嘆かひの詩人」と呼ばれた久保田万太郎の名も、もはや歴史的人名と化しつつある。一般的な話であればともかくも、優れた戯曲を残した作家が演劇界で「見知らぬ人」のように扱われるのは何とも寂しいものだ。
久保田万太郎、略して「久保万」の芝居は、ほぼ例外なく、「…」「……」などの間が非常に多く、台詞に多くを語らせない。この「間」に込めた想いを汲んでほしいという作者の意図だが、演じる側にとってこんな難物はない。しかも、明治から昭和の初期に使われていた東京・下町の訛りがふんだんに使われているため、「久保万」の芝居に出て来る言葉の解説本まであるほどだ。こうした芝居が今の時代や観客の感性に合わないのは百も承知二百も合点だが、役者にとって間の取り方や無言の感情表現など、勉強するにはもってこいの芝居が多い。現に、昭和の終わり頃まで、新劇の劇団はこぞって役者の勉強の意味も込めて久保万の芝居を上演したものだ。
こうした性質の作家のためか、オリジナルは一幕、二幕の芝居が多く、多幕物の芝居は多くはない。この『釣堀にて』は珍しく三幕の芝居で、タイトルの通り、小さな釣堀でポツリポツリと交わされる会話の中で人間模様が炙り出されていく。二十代の若者と、五十代の初老の男。黙って釣り糸を垂れているうちに、問わず語りに身の上話を始める。若い男は、自分の父を知らないでいたが、母が今になって会ってくれと言っている。そんな見ず知らずの男をいきなり「お父さん」と呼べるか、と憤慨している。五十代の男は実は父親なのだが、大概はここで「人情噺」のような展開になるものだ。しかし、この父親は、「確かに言われた通りで、こちらにしても、今になって会ったところで仕方がない」と言い、結局、この話は、感動的な出来事も何も起きずに終わる。
「作劇術」の観点からすれば、涙も流せるし、怒りもできる。しかし、「名乗ったところで今更どうなるものでもない」と、手練れの作者は派手な感情の発露を見せぬまま、幕を降ろす。これが、一見傲岸不遜で「ボス」と呼ばれ、位人臣を極めながらもその実は気の小さい下町っ子が見せる「含羞」(がんしゅう)なのだ。久保田万太郎という作家には、毀誉褒貶がずいぶんつきまとった。しかし、得意の俳句を認めた短冊や色紙の文字を見ると、でっぷりと肥って貫禄のある人が書いたとは思えないほど小さな文字で、しかもかすれがちだ。この文字の「たち」が、実は久保田万太郎の本質なのではないか、と私は思う。
『釣堀にて』にしても、派手な芝居にできる素材を、地味な方法で、親子の心持ちを「…」で現わし、多くを語らせないのは、「皆まで言うな…」との気持ちだろう。過剰な言葉や情報に溢れた現代にはかえって新鮮にも、あるいは不条理にも見えるかもしれない。「忖度」という感情が、国会である意味だけを強調された時期があったが、言葉が持つ感情表現の幅の広さは、そんなお粗末なものではない。多くの情報を与えられすぎて「思考麻痺」に陥っている今こそ、昭和10年に書かれたこの芝居の行間に込められた感情を忖度することが、今の我々の頭には、よいトレーニングになるのではないだろうか。しかし、今やこの世界を表現できる役者も少なく、共感できる観客も少ないのが実状で、これも時代の流れとは、寂しいものだ。