国立劇場の正月公演を、二世尾上松緑、初世尾上辰之助など、懐かしい顔ぶれの音羽屋一門が担うようになってからずいぶんになる。その間、復活狂言、通し狂言などを上演しており、今年は元号が「令和」と改まって最初に迎えるお正月であることから、元号をタイトルに読み込んで、『四谷怪談』などで有名な鶴屋南北の原作『御国入曽我中村(おくにいりそがなかむら)』を、国立劇場文芸研究会がアレンジしたものだ。
原作のタイトルからも分かるように、江戸時代の歌舞伎の恒例のテーマである曽我兄弟の仇討を描いた「曽我物」の要素を持った「仇討」狂言だ。しかし、ストーリーはそう入り組んだものではなく、簡単に言えば、源頼朝が鎌倉へ幕府を置いて以降、天下の乗っ取りを企む悪人を討ち取ろうという物語。江戸期の歌舞伎の「正月狂言」らしさが随所に見られる。また、「両花道」を使うなどの贅沢さや、江戸の風俗を活写しようと試みた国立劇場文芸研究会の工夫は、地道ではあるがキチンと評価するべきだろう。
面白いのは、曽我五郎、十郎兄弟こそ出ないものの、「白井権八」「笹野権三(ささのごんざ)」「幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)」など、歌舞伎の世界での有名人が多数登場することだ。ここが、いわゆる「そこが芝居」の愉しみだろう。歌舞伎の手法で「実ハ誰々」とのパターンもあり、ストーリーも時代物、世話物と幕により色合いが変わる。その「趣向」を楽しませる工夫が凝らされていること、「通し狂言」ながら三回の幕間を挟んだ上演時間が約3時間半という長さ、この二つは評価できる。とかく「長い」と言われる歌舞伎の上演時間に対する考え方、特に「通し狂言」の上演方法を考える上で、劇場側の理屈ではなく「観客の生理」を考えると重要な問題だ。「通し狂言」を観て、演じる側も観客も疲弊しているようでは意味がなく、先月の歌舞伎公演に続いて、国立劇場の現代の観客の感覚に合わせようとする姿勢は評価したい。
もはや歌舞伎界で一つの劇団になってしまった「菊五郎劇団」の尾上菊五郎、菊之助親子を中心に、中村時蔵、梅枝、尾上松緑、左近親子、市村萬次郎、坂東楽善などが顔を揃えて見せる。天下を狙う悪人と町医者の二役を菊五郎が演じており、素性を隠していかにもとぼけた町医者をコミカルに軽く演じているのが面白い。先月の新橋演舞場で思わぬ怪我をした菊之助も、その影響を見せずに鮮やかに二枚目・白井権八を演じ、途中で女形も見せる思わぬサービスがある。松緑が権三で対抗し、いいコンビだ。
テンポ良く話が進む今月の舞台で「殊勲賞」とも言うべきは坂東亀蔵で、二役を演じているが時代物の役と世話物の役の演じ分けがキチンとしており、細かなところにも気を配った芝居を見せている。
大詰めは、菊五郎を中心に主なメンバーが両花道に並んだ後、舞台へ揃う。背景も全山桜から富士山に変わり、いかにも正月狂言らしい味わいの舞台になった。開場以来50年以上、「通し狂言」「復活上演」を旗印に掲げている国立劇場の一年はどのようなものになるのだろうか。