「今、何とか生きてる俺たちに乾杯!」。幕切れ近くのこの台詞は、コロナ禍で先が見えずに混迷する日本の今、その中で生きる我々観客のためにあるとも言える一言だ。

 これは、劇団民藝が上演している『どん底-1947・東京-』での台詞だ。ロシアの作家、マクシム・ゴーリキー(1868~1936)が1902年に発表した代表作で、日本では1910年に『夜の宿』の題名で初演されている。以来100年余、新劇の代表作として多くの劇団が取り上げている。民藝でも、ちょうど30年前の創立40周年記念公演に、瀧澤修などのメンバーによりサンシャイン劇場で上演して以来、創立70周年の記念公演で30年ぶりの上演となる。

 この『どん底』は、「-1947・東京-」とあることからもわかるように、原作を終戦後間もない東京・新橋に置き換え、登場人物も日本人にしたいわゆる「翻案」だ。劇作家の吉永仁郎(1929~)の脚本を、丹野郁弓が演出している。1947年、つまり昭和22年の東京はまだ敗戦の混乱のさなかからようやく少し抜け出そうとしている時期で、新橋の焼け跡にある古く汚い半地下に集まって暮らしている人々の生活は、まさにどん底の状態だ。その戦後の風景と、ゴーリキーが生きた時代の社会の底辺を生きる人々との姿が二重写しのようになった構造だ。

 名作の誉が高い作品だが、不思議なことにこれと言った明確なストーリーがあるわけではなく、確固たる主人公と言える人物がいるわけでもない。それぞれの役に芝居で言う「しどころ」もあるようなないような、何とも不思議な芝居である。強いて言えば、社会の「どん底」で生きる人々の生活の断片を切り取った作品、とでもなろうか。吉永脚本の面白さは、ゴーリキーがロシアの底辺で暮らす人々の様子と敗戦後の東京と結び付けたところだ。この発想に手練れの劇作家の力量を感じる。作者自身が16歳で敗戦を迎え、当時の光景を実際に知り、体験していることは大きな強みで、どんどん遠くなる昭和の中でも最も大きな事件である「戦争」の一つの瞬間を書きとどめている点でも意味がある。

 ゴーリキーの『どん底』と対比しながら考える方法もあるが、ここでは、「原作:ゴーリキー」の作品を、吉永流に直した内容に触れたい。そうでなければ、あえて「-1947・東京-」と付けた意味が薄まるからだ。

 半地下の汚いビルには、仕立て屋、靴屋、歌舞伎役者、特攻隊上がりの男、かつぎ屋、インテリと呼ばれる男、娼婦などが、肩を寄せ合い、その日暮らしをやっと送っている。日々の苦しい暮らしの中で、靴屋のかみさんは肺の病で命を落とし、役者は新たな生活を目指すために半地下を出た途端に、首を吊って自殺をする。と書くと、ひどく陰惨な作品のようだが、何か活気に満ち溢れ、そんな日々でも明日への希望があるような気を与える。それが、冒頭に引用した台詞に色濃く反映されている。これは、今日が良ければ明日はどうなってもよい、という刹那的な感覚ではなく、今を懸命に生きている自分たちに対する愛しさに溢れている。コロナ禍の中、朝令暮改のようにいろいろな制度が変わり、どのニュースを信じて良いのかわからぬままに自粛を余儀なくされ、見えない恐怖に怯えている今の我々の姿でもある。本来は、昨年の春に上演の予定だった作品がコロナ禍で一年遅れての上演だが、それがかえってタイムリーで、より深く観客に響く内容になった。

 全部で16人の登場人物がエネルギッシュに役に取り組んでいるのが頼もしい。特に、杉本、千葉、日色たちのベテラン勢の健在ぶりは見事なものだ。齋藤の仕立屋に安定感があり、この作品が初舞台となる橋本潤の特攻隊上がりの男が、シャープな芝居を見せ、今後が期待できそうだ。70周年記念の公演でベテランから若手まで俳優陣の層の厚さを見せられたことも、今回の公演の大きな意義である。