「エッグ・スタンド」2017.03.02 シアター・サンモール
男優だけでどんな芝居も演じてしまう「スタジオライフ」。1985年に結成以来、30年を超える歴史を持ち、昨今賑やかな「イケメン・ブーム」の到来よりもはるかに歴史は古い。萩尾望都の『トーマの心臓』、『訪問者』や、皆川博子の『死の泉』、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』などの作品を、劇団の座付き作家であり、唯一の女性である倉田淳が脚色し、多くの佳作を残して来た。この『エッグ・スタンド』も萩尾望都の作品だ。
「スタジオライフ」の公演の特徴は、主要なキャストをダブルで演じることだ。倉田によれば、頭の中で配役を考えていると、主な役は一人に決め兼ねる場合が多いのだ、と聞いたことがある。観客にすれば、二通りの組み合わせで観られるわけだが、最近はこうした仕組みの公演が多い。とは言え、他の劇場のダブル・キャストの仕組みとは根っこが違っているのがわかる。この劇団のキャスティングが特殊なのは、ダブル・キャストの場合は、二役を演じることだろう。今回の芝居の役名で言えば、「ルイーズ」と「サガン未亡人」がセットになっており、互いがどちらかを演じている、という仕組みだ。これが、他芝居のダブル、トリプルキャストとの公演の違いだ。
さて、「エッグ・スタンド」である。第二次世界大戦の最中、ドイツ軍に占領されたパリ。キャバレーの踊り子・ルイーズと素性がよくわからない少年・ラウル、地下に潜行してレジスタンスの活動をしているマルシャンの三人が主人公となる。接点のなかった三人が共同生活を進めるうちに、ルイーズがユダヤ人の血を引いていることがわかる…。
もはや、戦後も70年を過ぎ、戦時中のことはおろか戦後の大きな時代の動きも忘れ去られようとしている。その中で、この作品は、「戦争反対」を声高に叫ぶわけではない。偶然なのか必然なのか、出会って共同生活を始めた三人のギリギリの瀬戸際に立たされた生活を「点景」のように描く。そして、物語は重い結末へと向かう。その中で、彼らだけではなく、多くの人々が本意ではない苦渋の生活を送らねばならない時代、その背景にあったものの闇の深さが浮き彫りにされ、炙り出されてくる芝居だ。
倉田脚色は、台本が長い傾向がある。しかし、この芝居は90分を僅かに超える一幕物で、異例とも言える短さだ。それは、会話の行間に込められている想いが深いこと、また、タイトルの「エッグ・スタンド」という言葉が示すように、何らかの比喩として託された言葉が多いことによる。それらに多くのメッセージや深い感情の動きがあるために、これを2時間あるいは2時間半という長さにすると、観客が、作品が発する大切なメッセージを受け取れ切れない可能性があるのだ。
たとえ短くとも、萩尾望都の原作、倉田淳の脚色・演出が優れており、無駄な会話が必要ではない、ということもある。私は勉強不足なことに原作を読んでいないので、どこがどのように違う、という比較はできない。ただ、殊更に騒ぎ立てることなく、さりげない会話の積み重ねで、内在する問題の重さや時代の暗さ、生きる厳しさを描くのは容易なことではない。そんな作品に果敢に挑戦した姿勢は評価したいと思う。
Rougeチームの初日に当たる今日は、山本芳樹のラウル、久保優二のルイーズ、笠原浩夫のマルシャンのトリオだった。初日ゆえか、芝居にまだ硬さが見られ、こなれていない部分が散見された。今までに劇団が手掛けて来た作品との性質の違いによる戸惑いもあっただろう。もう一つのNoirチームは未見のため比較はできないが、Rougeチームでもまだ作品が身体の中に落とし込めていない俳優が何名かいたのは事実だ。台詞の裏側にあるメッセージやその想いを肉体で表現することの難しさに苦しむ若い俳優も多いだろう。しかし、こうした挑戦を重ねることで、新しい世代も育つ。その過程であり、新しい作品、新しい道の開拓は厳しいものだ。しかし、ここを超えないと新しい芽は吹かない。そのために頑張ってほしいところだ。