ここ暫くの間で、「LGBT」など「性的マイノリティー」に対する理解が急速に深まりつつある。時代の趨勢で、これまで苦しみ悩んでいた人には朗報だが、まだまだ偏見が多いのも事実だ。そうした現在、男性同士の恋愛が三角関係で揉めながらもハッピー・エンドで終わる作品がミュージカルで上演される時代になった。2019年3月に日本で初演されて以来の再演で、コロナ禍の中でも人々に勇気を与え、「愛の力」を知らせる作品だ。
ロンドンのソーホーで亡き母が遺したコインランドリーを営業しながら、義理の双子の姉妹に意地悪をされ、豊かではない生活を送るロビー(林翔太)。彼にはシングルマザーで親友のヴェルクロ(豊原江理佳)が何くれとなく力になってくれているが、ロビーは実はゲイで、元・水泳選手でロンドン市長選への立候補を表明しているジェイムズ(松岡充)という恋人がいた。そこに、ジェイムズのスポンサーで大物実業家のベリンガム卿(松村雄基)がそれまで金銭的な援助をしていたロビーに愛を告白し、抜き差しならぬ男性の三角関係が勃発する…。この三人の男性を軸に、さまざまなエピソードが挟まれ、最後はスキャンダルを暴かれて立候補を辞退したジェイムズとロビーが結ばれる。
一歩展開を間違えると暗く重いストーリーになりがちなテーマを、周りに配する女性陣のキャラクターを強烈に見せ、アップテンポのナンバーを紡いでミュージカル仕立てにしたことで、気軽に、客席から笑いが漏れる仕立てになったのは演出の元吉暢泰の感性によるものだろう。再演の林・松岡のコンビは、前回よりも安定感を増し、ナチュラルな演技を見せる。何よりも、二人の間にある信頼感が技術的な巧拙を超えていた部分があったことだろう。ロビーの亡き母の親友で、ロビーを温かく見守り、助けるサイドサドル(水夏希)の明るさと、雑な物言いの裏に流れる優しさが良い。松村のベリンガム卿は、もう少しロビーに対する感情を生々しく見せても良かっただろう。この作品の登場人物の中で、唯一金銭的にも社会的にも恵まれた立場にいる人物であり、その泰然自若とした大物ぶりの陰に、チラリとそうした感情がほの見えれば、更に面白くなっただろう。
今から40年近く前、渋谷のパルコ劇場でストレート・プレイではあったがゲイの人々を描いた『真夜中のパーティ』が上演された折、演劇界も観客も今とは相当違った感覚でこうした世界の触れた記憶がある。偏見だらけと言ってもよい時代の中で、「こういう世界もあるんだ」「こんな芝居もあるのだ」との感覚で、言葉を選ばずに言えば「物珍しさ」で劇場へ足を運んだ観客も少なくはなかっただろう。しかし、演劇界のみならず多くの人々の発言や行動により、性的マイノリティーの人々に対する理解も徐々に深まり、違和感も相当に減少したのを劇場の空気で感じる。まさに、芸能とは「時代と共に移ろうもの」という事実を感じた作品でもある。
世界的なシャンソン歌手、エディット・ピアフが1963年に47歳の波乱万丈な生涯を閉じ、間もなく60年になる。亡くなる数年前に20歳以上年下の青年と結婚したピアフに、世間から「世間知らずの若者を」との非難が殺到した。しかし、相手のテオ・サラポは、献身的な愛情でピアフに尽くし、その最期を看取った。ピアフは、テオとの結婚を批判する世間に対し、『愛する権利』という曲を発表した。「人が人を愛することに罪はない。老人と若者、異国人同士、男性と男性、女性と女性。人が人を愛して何がいけないのだ」との大意を持つ歌で、敢然と対抗した。
この作品を観て家路に向かう折に、そんなことを思い出した。ピアフの楽曲とこの作品に直接の関係はない。しかし、演劇や芸能が、世間の考え方を変え、新たな潮流や思想に与える影響は決して小さなものではないのだ。