高麗屋三代襲名披露興行も二か月目に入った。一月の公演を経て、襲名する三人が、もう新しい名前に馴染んでいる感覚がある。襲名の不思議なところだ。

 夜の部は、松本幸四郎の『熊谷陣屋』で幕が開く。妻・相模には中村魁春、藤の方が中村雀右衛門、弥陀六が市川左團次、源義経が尾上菊五郎と、先輩の胸を借りての披露で、堤軍次に中村鴈治郎、梶原平次に中村芝翫が付き合うという豪華版。
 今までに、老練な熊谷は何度も観て来たが、実際の熊谷の年齢を考えると、今の幸四郎ぐらいではなかったのだろうかと、ふと役と役者が「同世代」であることの感覚が頭をよぎる。その分、剛直一辺倒に生きて来た武士ではなく、子を持つ父親として、一人の家庭人としての姿が見える。今までの『熊谷陣屋』を見慣れた眼には「軽い」と映るかもしれない。しかし、どんな偉人であろうが見える姿は一通りではなく、根本的に人間同士が織り成すドラマであることを考えれば、こうした上演方法もあるだろう。
 魁春、雀右衛門、左團次、菊五郎らの諸先輩は何度も演じている自分の持ち役であり、いつも通りの演じ方で、特別なことはせずに後輩の新たな門出に花を添えている感じだ。中では、菊五郎の源義経が御大将の風格と気品で年功を感じさせる。

 次いで襲名披露口上。先月は屏風の前に22人の役者が並んで裃姿での口上だったが、今月は『壽三代歌舞伎賑』(ことぶきさんだいかぶきのにぎわい)と題して、舞台の上に江戸の芝居小屋を造り、座元・茶屋亭主などに扮した役者たちがお祝いの言葉を述べるという趣向だ。両花道の本花道には男伊達、仮花道には女伊達が並ぶ。男伊達には市川左團次、中村又五郎、中村鴈治郎、中村錦之助、尾上松緑、市川海老蔵、坂東彌十郎、中村芝翫、中村歌六。女伊達には中村魁春、中村時蔵、中村雀右衛門、片岡孝太郎、中村梅枝、市川高麗蔵、大谷友右衛門、中村東蔵、片岡秀太郎。他に、役の名があり、一言述べるのが尾上菊五郎、片岡仁左衛門、坂東玉三郎、市川猿之助、坂東楽善、片岡我當、中村梅玉、中村吉右衛門、坂田藤十郎と凄いメンバーが並んだ。
 その後、道具が変わって裃姿の三人が改まって『口上』を述べる。こうした形式は初めて観たが、幸四郎によれば、今月の出演者は、第五期の歌舞伎座の開場公演以来の出演者数だとか。37年ぶり二回目の親子孫三代襲名という空前の襲名に相応しい仕掛けだ。
 この日は折柄節分で、この幕が閉まった後、再び幕が開いて、出演者の大半に加えて、市川右團次なども加わっての「豆まき」に観客は大喝采である。

 夜の部の締めくくりは『七段目』。由良之助は白鸚で、今月は奇数日と偶数日はおかると平右衛門の配役が変わる。この日は奇数日なので、坂東玉三郎のおかるに片岡仁左衛門の平右衛門。偶数日は、尾上菊之助のおかるに市川海老蔵の平右衛門となる。ベテランの三人組対フレッシュな二人との組み合わせ、観客はどちらを観るか悩ましいところだろう。

 旧聞に属するが、昭和55年3月、歌舞伎座で当時の人気花形が、一か月の公演の中で役を替えながら『忠臣蔵』の通し上演をしたことを想い出した。あの折も、私が観た『七段目』は、市川染五郎当時の白鸚の由良之助、片岡孝夫当時の仁左衛門の平右衛門、玉三郎のおかるだった。38年ぶりに、同じ顔合わせの『七段目』に接することができるのは、歌舞伎という芸能の役者と観客の息の長い付き合いで共に歳月を経るという特徴ならではである。
同世代と演じる日もあれば、子供の世代を相手にする日もある、という変則的な上演を、75歳の大ベテランが受けて立っているのは象徴的だ。ここに、新・白鸚の新しい魅力がある。九代目幸四郎を名乗っていたつい昨年よりまでも、より軽みを増し、身軽になって振れ幅が大きくなったのだ。今回の由良之助にしても、若手を相手にした舞台との比較はまだできないものの、本心を押し隠し茶屋遊びに耽る前半の男の色気と、後半の力強さの演じ分けは実に鮮やかで、充実した舞台だ。一点一画を疎かにせずにいながら、それを重苦しく感じさせずに見せる芸境、とでも言おうか。由良之助の「形」から離れ、自由自在に演じているような感覚がある。対する仁左衛門の平右衛門の科白のイキや間も心地よく、玉三郎のおかるとの名コンビぶりは健在。平右衛門が兄だと知り、愛しい勘平の様子を知りたがり場面で、余計な入れ事をする場合があるが、女の照れと恥じらいを感じさせながら、無駄な部分を排除したのもスッキリしている。

 襲名披露はまだ始まったばかりで、今後、名古屋、福岡、大坂と続く。しかし、この『七段目』のベテラン・バージョンの顔合わせは「一世一代」と言うに相応しい舞台だ。初代・白鸚が「由良之助役者」と言われ、当代も相当な数演じているが、まさに平成の由良之助役者の姿を堪能させる舞台である。