劇団文化座の創立75年の2017年に、杉浦久幸が書き下ろした『命どぅ宝』。タイトルからもわかるように、沖縄を描いた作品だが、コロナ禍で予定通りの上演ができないケースにも遭いながら創立80年、そして沖縄返還50年を迎える節目の2022年、長いツアーに一区切りを付けることになった。

 令和4年の今年を昭和に直すと「昭和97年」に当たる。終戦の昭和20年に生まれた人が77歳になるわけで、「戦争を知らない世代」が圧倒的な比率になるのも無理もないことだ。この批評を書いている私自身が、昭和37(1962)年生まれで戦争を知らない。ただ、子供の頃、家から近い新宿で傷痍軍人の姿を見たり、高度成長期へ向かう日本の、まだ決して豊かとは言えない「戦争の残滓」はかろうじて肌で感じた経験はいくらかある。また、家族や親戚から戦争の話を身近に聞いてはいるものの、戦争を知らない世代であることに変わりはない私が、この作品をどう批評するべきか、その資格があるのかどうか、頭を悩ませるところではあった。しかし、少なくも私が感じたことは「記録」としてでも残しておくべきであろう。嘘か誠か、最近の大学生の中にはかつてアメリカと日本が戦争をしたことを知らない若者もいると聞く。そういう人々よりは少しでも戦争に近い世代として、記す義務はあるのかもしれない。

 先程、「昭和97年」と現実的ではない数字を書いたが、一言で言えば、沖縄ではまだ「昭和は終わっていない」。現に、米軍基地を巡る問題の本質は、この作品の舞台となっている昭和25(1950)年頃と本質的には何も変わっていない。戦後10年余りを経て、復興めざましく「もはや戦後ではない」と本土で言われていた時も、沖縄では一般市民とアメリカとの闘いは続いていたのだ。

 この『命どぅ宝』は、のちに衆議院議員となる瀬長亀次郎、教育者で沖縄の復帰後、県知事を務めた屋良朝苗(やら・ちょうびょう)、『命こそ宝』などの著書を遺した沖縄の平和運動家・阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)などの実在の人物を中心に、戦後も続くアメリカの抑圧に「非暴力」で対抗しながら、1950年の「朝鮮戦争」勃発の頃から屋良が「公選行政主席」(まだ復帰前なので、「県知事」ではない)に選出される1968年頃までの20年近い期間を描いた作品だ。

 幕開きに、舞台の奥に「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ」「基地を持つ国は基地で亡び核を持つ国は核で亡ぶ」の言葉が映し出され、何とも象徴的かつ普遍的な想いを抱く。昭和20年に戦争は終わっても、米軍基地がある沖縄の本島や離島では当然のように日々訓練が行われ、占領下の中では貧しい農民たちの僅かな耕作地さえ自由にすることはできない。その中で、当時の沖縄人民党(当時、沖縄にあった左翼政党で本土復帰後、共産党に合流)書記長だった瀬長が「沖縄群島知事選挙」に立候補するが落選、その後、政治的発言が問題となり、実刑判決を受けて投獄されるなどしたが、昭和31年の那覇市長選に当選、「赤の市長」とも呼ばれた。

 エネルギッシュな瀬長を藤原章寛、温厚な教育者の屋良を青木和宣、非暴力を掲げて地道な説得と活動を続ける阿波根を白幡大介と俳優の個性が鵜山仁の演出で活かされた。藤原の熱血漢の一本気さ、青木の鷹揚でいながら年嵩の分、広くを見渡す人間の大きさ、白幡の温厚な台詞の中に見え隠れする信念の強さ、いずれも適材適所の配役だ。劇団のアンサンブルがしっかりまとまっているので、密度が濃い二幕の舞台である。時折混じる沖縄の方言も、全部の意味を理解することはできなくとも観劇に支障はなく、むしろ「沖縄らしさ」を感じる。それほどに俳優の肉体に馴染んでいるのだとも言える。多彩な個性を持つメンバーを擁し、緻密な間合いで芝居のアンサンブルがまとめられるところが、「劇団」として歳月を重ねて来た強みでもある。劇団の代表・佐々木愛が演じる島の知念マサという老女。取り立てて重要な役柄というわけではないのだが、登場すると舞台の空気が一変するのは、見事なベテランの技だ。母でもあり、劇団創立メンバーでもあった鈴木光枝に横顔がそっくりで、母娘の共演舞台を懐かしく思い出すと共に、二人の女優が文化座で残してきた仕事にも想いが及ぶ。

 「反戦」「平和」と口にするのは簡単なことだが、どう実行に移すか、大きな力でも解決できない問題は多い。現在も、日本を巡るアジア地域の政治状況は緊迫の度を増し、ロシアのウクライナ侵攻を巡る各国の対応措置など、世界各地できな臭い匂いが漂っている。日本がかつての戦争に負けた後、大きな力や武器を使用せずに、多くの人々のコツコツとした根気強い歩みが歴史に刻んだ跡は深く、意味は大きい。「戦争を知らないので」という問題とは関係なく、観客それぞれの感覚、知識で再度日本の「昭和史」を考え直す必要はあるだろう。「コロナ禍」で家に籠もらなければならない機会が多い昨今、自分が生きている国の僅か100年に足りない時間に、何があり、どんな想いで人々が歩みを重ねて来たのかを勉強するのも悪いことではないだろう。

 創立記念を祝うには充分に意味のある、そして意義のある舞台となった。