正月の歌舞伎座は、何とはなしに賑やかな風情が漂い、華やかな空気に包まれる。俳句の季語に「初芝居」とあるように、年が改まって華やか顔ぶれの役者と、賑やかな演目が揃うか
らだろう。今月も、ベテランから花形まで、多彩なメンバーで歌舞伎座の一年の幕が開いた。
夜の部の最初は、舞踊の『猩々』。尾上松緑、中村橋之助、中村梅玉の三人が、新玉の酒にまつわる中国の伝説を舞踊化したものを、舞い納める。
二本目は、初代中村吉右衛門の当たり役をまとめた「秀山十種」の中から、孫の松本幸四郎が『二城の清正』を演じる。この作品は昭和8年に初演されたもので、いわゆる「新歌舞伎(作:吉田弦二郎と呼ばれる作品群に分類される。加藤清正が豊臣秀吉の遺児・秀頼を命がけで守ろうとする決意を見せる一幕だ。加藤清正を松本幸四郎、秀頼を孫の松本金太郎が演じている。金太郎は10歳と聞いたが、凛々しい若殿ぶりで、約40分に及ぶ一幕の中で、自分の職分を見事に果たしているのは立派だ。
新歌舞伎の作品は、場合によってはどっちつかずになるケースもあるが、幸四郎はひたすらに主君を守ろうという想いを大げさではなくしっかりと見せる。一場の幕切れ、秀頼に対する
周囲の殺意を感じた清正が、大音声で「還御」と発するシーンで幕が降りる。効果的な科白であり、つい古典歌舞伎のように謳い上げたくなる部分だが、危機の中にある清正の瞬時の判断を鋭い科白で放った後、あえて余韻を残さず緊迫感を示したのが良かった。新歌舞伎のこうした作品を、キチンと演じて見せることは、観客だけではなく同じ舞台に立つ後輩の役者には良い手本だ。ベテラン勢が自分の家に伝わる「芸」を、立派な形で見せるのも芸の継承である。
「家の芸」と言えば、次の『吉田屋』は中村鴈治郎の家の芸「玩辞楼十二曲」の一つ。上方和事と呼ばれる演目の中で、傾城と若旦那の色模様を描いた作品だ。これと言って粗筋があるだけではなく、役者の魅力で見せる芝居だ。上方の役者を中心に、繰り返し演じられている人気演目の一つで、今回主役の伊左衛門は、昨年四代目中村鴈治郎を襲名し、今回が三回目の上演となる鴈治郎。相手役の傾城・夕霧は坂東玉三郎で、こちらは十二回目になる。伊左衛門の難しさは、何と言っても「風情」で見せなくてはならない点にある。遊蕩三昧で勘当されてもなお、馴染みの遊女のもとへ足を運ぶ、どこまで行っても「若旦那」の風情と、さんざん遊んできた男の「色気」、この二つが身上だ。鴈治郎は、まだこの二点が固く、面白く見せようとしてはいるが、その先に行かない。面白く見せる、のではなく、演じている間に伊左衛門の勝手気ままな行動や物言いに、客席から笑いが起こる、というのがあるべき姿で、客席を笑わせようとしているように見えてはいけない。
玉三郎の夕霧、回数を重ねているだけあり、万事にそつがないが、鴈治郎とのコンビがまだしっくり来ていないようだ。いつもより芸が淡泊で、伊左衛門への想いが伝わらない。これは何とももったいない話で、互いの芸が反発し合う水と油のように見えるのは残念だ。
吉田屋の女房・おきさを上村吉弥が演じる。高校を卒業後に歌舞伎の世界に入り、上方歌舞伎に励んで来て、こうした重要な役を見せるところまで来たのは、本人の努力ゆえだろう。歌舞伎は門閥だけで形成された特殊な世界、ではなく、本人の努力次第で結果が出せることを見せているのは、同じ道をたどっている後輩への希望になる。
最後が河竹黙阿弥の『直侍』。冬にはぴったりの芝居で、男女の色模様が二本続くが、『吉田屋』は上方、『直侍』は江戸の世話物で色合いは全く違う。市川染五郎の片岡直次郎は今回が二回目。花道の出の瞬間から、「蕎麦屋」での細かな仕草、科白の調子など、相当に研究と努力を重ねた跡が見える。悪事を働く色男が、惚れた女への「最後の純情」を果たす気持ちが非常に良く判る、丁寧な芝居だ。科白も黙阿弥の七五調を巧みに活かし、何とも様子がいい。久し振りに「江戸前」という言葉を思い出したが、こうした芝居が今後の歌舞伎に大事なものとなるのは間違いない。大事ではない芝居はないが、『吉田屋』が上方の持ち味を見せるのに対し、黙阿弥が書いた江戸の名残を見せるのがこの『直侍』でもある。この役に対する染五郎のアプローチの仕方を観れば、持ち役として回を重ねられる期待が持てる。
直次郎と恋人・三千歳花魁の仲を取り持つ按摩の丈賀は、中村東蔵が初役で演じる。老けの女形には定評があるが、これはミス・キャストのようだ。やたらに芝居が騒がしく、真中へ出て来ようとするが、ここはすべてを呑み込んで、酸いも甘いも噛み分けた世慣れた人物であってほしい。
三月に父の名・雀右衛門を襲名する中村芝雀が、今の名前で演じる最後の役・三千歳。面差しが先代にそっくりなのに驚きもしたが、この役は先代も得意としており、よく上演していた。芝雀は年齢よりも遥かに若々しく、染五郎との美男美女は良いコンビだ。清元の有名な『一日逢わねば千日の』という恋い焦がれる女性の想いに乗せて現われた瞬間に、ふと目を泳がせ、愛しい直次郎にすがりつくまでの僅かな間に、役の心根が感じられる。少し翳があるのも良く、いかにも恋煩いをしそうな風情だ。染五郎と同様に二回目だが、染五郎とのコンビは今回が初だ。良い組み合わせが出来上がった。襲名という大仕事を前に、芝雀の名と別れ、新たな道を切り拓くには良い役を見つけた、と言えよう。
初芝居の夜の部、総じて濃密な出来上がりである。