最近のテレビドラマでは珍しく大きな話題を呼び、つい先日最終回の放送を終えた「やすらぎの郷」。かつて、テレビ界に貢献した人が集まって暮らす無料老人ホームで起きるドラマの数々と、往年の豪華スターたちのキャスティングが注目を集めた。この作品、『想い出のカルテット』は、引退した音楽家たちが暮らす老人ホームが舞台で、2011年にルテアトル銀座で初演、14年に今回と同じEXシアター六本木のオープニング・シリーズとして再演され、今回が三回目の上演となる。黒柳徹子が1989年に当時の銀座セゾン劇場で始めた海外コメディ・シリーズの一作で、今回が第31弾となる。
「コメディエンヌ」という職分を持つ女優がなかなか育ちにくい日本の中で、海外の良質なコメディを30年にわたり上演している黒柳のエネルギーにまず敬服する。これには前段があり、文学座が分裂した折に脱退し、良質の喜劇だけを上演しようと「劇団NLT」を旗揚げし、1991年に亡くなった賀原夏子と黒柳とは縁があり、劇団NLTにも何度か客演している。また、生涯の師と仰いだ劇作家の飯澤匡も喜劇を中心とした作家であり、そこに本人が持っていた資質が発揮され、こうした長く続くプロジェクトになったのだろう。もう一点、演出家で翻訳家でもある丹野郁弓がパンフレットにも書いていたが、作品選びの眼がいい。どんなに才能のある役者でも、肝心の脚本が良くなければ、その才を活かすことはできないものだ。その点で、黒柳徹子は、自身にどんな作品がフィットするかを客観的に判断する眼を持っている。
この芝居、出演者は黒柳の他には団時朗、鶴田忍、茅島成美の合計4人。それぞれが古くからの友人で、黒柳と団は、一時は短いながらも夫婦だった時期がある、という関係だ。元オペラ歌手4人が再会したところで、この老人ホームで作曲家・ヴェルディの生誕記念のコンサートで、かつて4人が共演した『リゴレット』の四重唱を披露することになったものの…。
9月29日の初日の幕が開く数日前に、主演の黒柳が大腿骨を骨折し、車椅子で稽古をしていたことが発表された。普通なら降板して代役での上演という話になり兼ねないが、幸か不幸か、ストーリーが老人ホームでのことであり、車椅子でもさほどの不自然さを感じさせないこと、怪我の治りが予想よりも早い、とのことで、全部を車椅子に座ったままで舞台を開けた。この話題だけをスキャンダラスに取り上げると、せっかくのコメディの本質や、芝居そのものを見失う必要があるので、あえて冒頭では書かなかったが、最初から役の設定がそうであったかのように見せる黒柳のしなやかな強さには舌を巻いた。いくら回復が早くとも、失礼ながら84歳という年齢を考えれば「休演」という措置が取られても何らおかしくはないし、どこからも苦情は出ないだろう。それを、何事もなかったかのように演じて見せる。これこそ、真のコメディエンヌだろう。先に少し触れた賀原夏子が、晩年、卵巣ガンに襲われ、気が遠くなるような苦痛を堪えながら『毒薬と老嬢』という芝居で観客を大笑いさせているのを観たが、まさに役者が舞台に賭ける凄まじさである。
元・夫だった団時朗が、柄も大きく声に深みがあり、いかにも引退したオペラ歌手の風格がある。一瞬、昔の藤原義江の匂いがした、という言葉を賛辞として贈りたい。この役とは対照的に描かれているのが鶴田忍で、亡くなった妻を忘れ難いが、日ごろは明るく、いささか下品な振る舞いに終始している。この二人は初演からのメンバーで、もう一人の茅島成美は今回からの参加だ。愛らしさをいつまでも持っているが、最近、少しアルツハイマーの気が出て来たようで、時折おかしな言動をする。しかし、底抜けに明るく可愛い。それが、4人の人間関係を巧く回す潤滑油になるから、人間とは面白いものだ。また、共演の3人がごく自然に黒柳のサポートをしているため、今回の舞台で初めてこの作品に接した観客は、最初からこういう設定だったのだ、と勘違いしてもおかしくない。年輪を重ねて来た役者の強みはこうしたところにも発揮されるものだ。
程よい上演時間で大人が楽しめる良質の芝居が、まだ上演できるのだ、という一つの事例がここにある。最近の演劇界はいささか元気を失っている感があるが、丹念に探す努力を怠らなければ、まだまだ佳い作品はあるのだ。