恐らく、今までに20回以上この作品の劇評を残してきただろう。それも、今回が最後になる。2000年に『MILLENNIUM SHOCK』の名で初演された折、主演の堂本光一は21歳で、帝国劇場の史上最年少座長として話題を呼んだ。以来、タイトルや共演者を変えながら毎年上演、即日完売の状態が現在まで続いている。
2005年に堂本自身が脚本・演出を手掛けるようになって以降は、『Endless SHOCK』の名で、帝国劇場以外に福岡・博多座、大阪・梅田芸術劇場での上演が加わり、また、公演開始20年の2020年からは、本編のスピンオフに当たる『Endless SHOCK Eternal』が新たに創られ、本編と交互に、あるいは同時に上演されることになった。
上演の度に手を加え、演出も進化を遂げたが、基本的なストーリーは変わっていない。アメリカのオフ・ブロードウェイでショーを演じる堂本扮する「コウイチ」と、公演によって変わるライバル役、後輩たち、劇場のオーナーとコウイチの彼女でもあるその娘が織り成す物語だ。テーマは「ショー・マスト・ゴー・オン」で、堂本が所属していたジャニーズ事務所の創立者・ジャニー喜多川がアメリカでショー・ビジネスに携わった折に体得した感覚である。何があってもショーを続けなければいけない、この「ショー」は「舞台」という言葉に置き換えられるが、国やジャンルを問わず、舞台芸術では非常に重要視されているテーマを前面に打ち出し、堂本自身も事故や怪我などのアクシデントに見舞われながらもそれを乗り越えてきた。この作品の上演が始まって以降、彼の一年はこの作品の上演のためにあるのではないか、と思わせるほどの没頭ぶりで、上演の度にステージのクォリティを高めてきたことは瞠目に値する。
天下の帝国劇場の座長を21歳で務めることは驚くべきことで、昭和から平成にかけては森繁久彌、山田五十鈴、九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)らの名優たちがミュージカルや大劇場演劇の優れた作品の数々を残してきた劇場だ。そこでの座長公演を、単に人気の男性アイドルの公演で終わらせることなく、昭和期の大劇場演劇とは違った感覚で、それまでとは違う客層を充分に満足させるだけのステージにしたのは、堂本の苦行にも近い努力と、それを支える共演陣、スタッフだった。
20代後半から30代前半の堂本の『SHOCK』の魅力を、私は批評の中で「翳り」「憂い」「愁い」などの言葉で表現した。ファンの間では「王子」と呼ばれる堂本の、一見華奢な肉体が見せる演技や表現には、そうした言葉が相応しかった。それが、歳月を重ねるごとに、先のような部分を残しながら「逞しさ」を増した。カンパニーを率いるトップとしての責任と、舞台へ賭けるストイックさが積み重なっての結果だろう。
しかし、当初の演劇界の見方は冷たかった。「所詮、ジャニーズだから」「アイドルの仕事」との偏見が、特に初演からしばらくの間、なかったとは言えない。しかし、毎年の公演が一か月即日完売を続け、帝国劇場だけではなく日生劇場、シアタークリエなどの東宝系の他の劇場でジャニーズ事務所のメンバーを主役に据えた公演が増加し、好調な観客動員を見せる状況の中、その声は徐々に静まった。
堂本光一は、ジャニーズ事務所に所属していた後輩たちへ新たな「舞台」の道を切り拓いた点での功績も評価されるべきだろう。残念なことに、すべてが『SHOCK』のようなクォリティの舞台ばかりとは言えないが、それは当然のことだ。2009年に、私は「ジャニーズだから入って当然」との偏見を演劇界がまず捨てるべきだ、との記事を書いた。これは単なる擁護ではない。やっかみが多く含まれていた眼で眺められていた演劇界に対する苦言だ。私自身がその片隅に何十年と身を置いていて、多くの理不尽な事実を見て来たが、時代の変化を無視した偏見はいかにも見苦しかった。ただ、そのジャニーズ事務所も大きなスキャンダルに見舞われることになるが、この稿ではそれを述べるのは主旨ではない。
今年の5月、来年2月の公演を最後に、建て替えのために閉館が決まった帝国劇場で、最後の『SHOCK』のシーズンの幕が開いた。5月9日には、上演回数2,018回を記録した。これは、公私ともに敬愛した森光子が半世紀近くを掛けて演じた『放浪記』の2,017回という、「国内演劇の単独主演記録」を更新するもので、この日は森の誕生日でもあった。単独主演記録では、1,000回を超えたもので言えば、二代目松本白鸚の『勧進帳』、『ラ・マンチャの男』、山本安英の『夕鶴』、森の『放浪記』などがある。いずれも気の遠くなるほどの歳月を掛けて達した回数だ。誰しも、回数の記録を作るために舞台を上演しているわけではなく、観客の懇望に応え、再演を重ねて回数を重ねたものだ。更に言えば、「昨日より今日、今日より明日」の進歩がなければ、観客は次の舞台を熱望しはしないだろう。その期待を超える舞台を見せ続けたらこそ、積み重ねられた数字なのだ。
もっとも、堂本の場合は、「2,017」の数字には少なからぬ意味を感じただろう。公私共に親しく、敬愛していた森光子の女優人生を賭けた舞台に並び、抜くということは、世話になった先人に対する恩返しを仕事でするような気持ちがあったのではないか。とは言え、これらの名優達の記録を、25年で抜いてしまったことは記録に値しよう。
最後の『SHOCK』は、4,5月の東京、7,8月の大阪、9月の福岡を経て、11月8日に再度帝国劇場で幕を開け、29日に千穐楽を迎える。この日で通算の上演回数は2,128回となり、この記録を破ることは容易ではないだろう。チケットが買えなかった観客のために、千秋楽の舞台を、各地の映画館でリアルタイムで上映する試みは、全国に映画館を持つ東宝ならではの強みでもあり、25年にわたる『SHOCK』のファンへのサービスでもある。
私が観た12日の舞台は、いつもと何も変わることなく、いわば「見慣れた」舞台だったが、「狎れ」はなかった。日々演じる堂本の胸に万感迫る想いがあるのは当然だろうが、それを見せて感傷的になることもなく、今までの一回と同じように演じていた。ここで、改めて登場人物個々の演技の細かな部分に触れることはしない。今回は、25年に及んだ『SHOCK』の総論としての批評のつもりでいるからだ。
毎年観ていたせいか、さして年齢を重ねたようには見えないが、それは本人の不断の努力の賜物であり、初演時には21歳の白皙の美青年も45歳になった。今月、帝劇を中心に歴史を刻み続け、演劇界に多くの衝撃を与えた『SHOCK』にも、とうとうEndが来る。これは、誰がどんなことをしてもいずれ訪れる瞬間である。
しかし、堂本光一という一人のエンターテイナーは、『SHOCK』の幕は降ろしても、その疾走を止めることはないだろう。新たな感覚、新たなメンバーで、また違った舞台を創るであろうし、多くのファンもそれを期待しているに違いない。今はただ、四半世紀にわたり、多くの観客を楽しませてきた堂本光一の偉業に「お疲れ様」と言いたい。