ジョニー・デップ主演の映画でこの作品をご存じの人も多いだろう。原作は英国の作家、ロアルド・ダール(1916~1990)。本作をはじめとする童話作家として高名な一方で、「奇妙な味わい」と評されるブラック・ユーモアの短編の名作を数多く遺した作家でもある。『南から来た男』などは、中でも白眉と言える作品で、私の中には、ロアルド・ダールの名はこうした作品群の作者として刻まれている。
しかし、自身が大のチョコレート好きで、5人の子供(1人は早世)のために創作し、読み聞かせた子供向けの物語を多く書き残している。その一編が、『チョコレート工場の秘密』と題されたこの作品だ。題名だけでも、子供は大きな興味を示すだろう。
貧しいが、心の優しい少年・チャーリー(トリプル・キャスト。この日は小野桜介)は、可愛がってくれるジョーじいちゃん(小堺一機)から年に一度、大好きな「ウォンカ」のチョコレートを買ってもらうのが楽しみだ。「ウォンカ」の工場を持つウィリー・ウォンカ(堂本光一)は、人間不信で世間から身を隠しているものの、工場を公開することを思い立ち、自らの商品の中に5枚の特別なチケットを忍ばせ、当たった子供たちと保護者を招待し、自らのチョコレート工場を見学させる。最後の1枚がチャーリーにも当たり、狂喜乱舞して大好きなジョーじいちゃんと工場見学に出掛けた彼が目にしたものは…。
結論から言えば、世代に関係ないファンタジーの世界を、舞台で具現化させたと言えるだろう。特に、二幕のチョコレート工場で、LEDなどを駆使して創り出す舞台の背景は煌びやかで美しく、石原敬の美術、増田セバスチャンのアートディレクションのコンビが、見事な効果を上げた。まるで、どこかのテーマパークでパレードを観ているような感覚になる。言うまでもなく、お菓子の工場ではチョコレートだけはなくジュースやその他、多くの製品が造られている。そのワクワクすよるような様子を、豪華な煌めきでファンタジックに見せる手法はたいしたものだ。また、これは賛否の分かれるところかもしれないが、場面によってはチョコレートやストロベリーの香りが客席に漂う。これは、私は不快ではなく、むしろファンタジックな世界へ観客を誘う相乗効果だと感じた。舞台と「香り」を結び付ける素材はなかなか難しいものだが、この作品は数少ないそうしたチャンスを活かせるもので、この試みは成功だと言えよう。
先ほど、作者の持ち味は「奇妙な味わい」だと書いた。この『チャーリーとチョコレート工場』にしても、ただのファンタジックな物語に終始するわけではなく、ダール本来の才能は遺憾なく発揮されている。工場見学のチャンスを得た5人の子供たちは、チャーリー以外は親子揃って我がまま放題だったり、自分勝手に過ぎたりしている。工場の持ち主のウォンカは、そうした人々の行為や発言を許さず、工場見学の場面が進むたびに、こうした親子は一組ずつ消えてゆく。
この様子を、「王子」の愛称で呼ばれる堂本は、何の衒いもなく、過剰な感情表現も見せずに、むしろ冷徹な微笑みといささかシニカルさを感じる台詞で演じて見せる。ここに、この作品を彼が演じる意味がある。『SHOCK』など他の舞台でも見せてきた硬質で体温の低い感覚を与える側面を持つ彼の演技が個性として活きたからだ。尤も、このまま物語が終わってしまうと、観ようによっては、ウォンカはただの冷酷な人殺しに過ぎなくなってしまうが、心優しいダールのこと、そこにもキチンと救いが用意されている。それを担うのが「ウンバ・ルンバ」と呼ばれる背の小さな不思議な工場の従業員たちだ。見た目も愛らしく、動きも面白いこの集団が、物語の盛り上がりに大きく貢献している。
助演陣では観月ありさ、森公美子、芋洗坂係長、岸祐二、彩吹真央など、お馴染みの顔ぶれに加えて新たなメンバーも見られる。チャーリーの母親、バケット夫人の観月ありさは、ひたすらに良い女性で、多くの人に尽くす役どころだが、変に嫌味がなく、そのまま演じているのが良い。小堺のジョーじいちゃんは、これと言って目立った芝居をするわけではないが、人柄が滲み出る巧まざるうまさがある。芝居の一歩引き加減が良く、あれ以上でも以下でも雰囲気は保てないという絶妙の位置に立っている。
この作品では、タイトルにもある子役のチャーリーが非常に重要な存在となる。他の役は一部がダブル・キャストだが、このチャーリーだけはトリプルで、この日の小野桜介は、大人顔負けの演技と歌唱が見事だった。他のチャーリーを観ていないが、恐らくかなり高いレベルの子役だろう。芝居の世界では江戸の昔から、子役が出る芝居はすべて子役に持って行かれるというほどだが、この作品は子どもが大勢出演する上に、子どもと同じように無垢な存在のウンバ・ルンバのおかげで、年代もバラエティに富んでいる。
殺伐としたニュースばかりにうんざりさせられている日々の中、年代や性別に関係なく楽しめるファンタジーもいいものだ。肝心なのは、コロナ禍以降定着したリモートや配信などではなく、「生」で味わえることの喜びで、そこに舞台の価値がある。先ほどの「香り」なども、劇場空間でなくては体験できない。全18曲のミュージカル・ナンバーも明るく楽しい。
「演劇」にはテーマ性の強いもの、エンタテインメント性の高いものと幅は無限と言えるほどの広さがある。何が良い、あるいは悪いというものではなく、それぞれに意味がある。その中で、たまにはこうした夢の世界を満喫するのも決して悪くはないだろう。