結論から先に書くことにする。舞台だけではなく、映像でも絶好調の山崎育三郎は、この作品で他の人には代え難い「当たり役」を得た。これは、俳優として幸福なことだ。
『トッツィー』と聞けば、多くの人が想い出すのは1982年にダスティン・ホフマンの主演で映画化されたものだろう。演技派の彼が女装をして女優を演じたことが大きな話題にもなり、内容も優れた名作だ。それが30年以上を経た2018年にアメリカ・シカゴでミュージカル化され、その後ブロードウェイでも幕を開け、今回が日本での初演となる。この間、時代は大きく様変わりした。かつての名作映画をそのまま舞台化しただけではなく、世界的な潮流となったジェンダーの問題などもはめ込まれ、現代の作品としての新しさも加わった。
演技に関しての才能はあり、言っていることはまともでも、いや、それゆえかもしれないが、あちこちで煙たがられ、なかなか俳優として目が出ないマイケル(山崎)は、高校時代の同級生で売れない劇作家のジェフ(金井勇太)と一緒に冴えないアパートで暮らしている。女優で元の彼女・サンディ(昆直美)が受けたオーディションに、あろうことか女装して名前もドロシーと変え、見事に合格。遠慮せぬ物言いや振る舞いが、プロデューサーのリタ(キムラ緑子)に気に入られ、芝居の質がどんどん良くなり、カンパニー内での評判も良くなった上に、主演女優のジュリー(愛希れいか)とは「女性同士」として信頼し合うようになり、プレビューは大好評。そればかりか、俳優としては今一つだがマッチョでイケメンのマックス(岡田亮輔とおばたのお兄さんのダブル。この日は岡田)に、「女性」として惚れられてしまうおまけまで付いて来る。とは言うものの、あっちもこっちも嘘で固め、そのまま押し通すわけにもゆかなくなったマイケルは…。
男優がその性的属性とは関わりなく、女装で演じるミュージカルは即座にいくつか思い浮かぶ。中でも印象的なのは、今も上演が続けられている市村正親の人気作『ラ・カージュ・オ・フォール』、故・三浦春馬の初演で大好評を得た『キンキーブーツ』だ。いずれも、女性に扮した姿に美しさが要求されるが、それ以前に、人々の微妙な感情の交錯やぶつかり合いを描いたミュージカルという難しい素材、それにジェンダーの問題も加わり、俳優にとっては挑戦の甲斐のある、難しい役だ。また、作品が俳優を選ぶ役でもある。
山崎のマイケルは、男性の時と女性の時の違いを、僅かな時間で巧みに切り替えている上に、愛嬌があり、笑いの場面に押し付けがましいあざとさがなく、好感が持てる。人間としての苦悩は男性のマイケルでいる時の方が遙かに多いが、その表現もキチンとしており、不自然な設定を破綻なく見せている。女性のドロシーでは、口の動き一つのような細かな動きにも工夫の跡が見られる。相当にハードな役のはずだが、自身が楽しんで演じているように見える。それは観客にも伝わり、序曲の演奏が始まった途端、観客からは多くの手拍子が生まれる。過去に何度も上演されている名作ならわからない話ではないが、初演である。観客がこの作品を思う存分楽しみたいという気持ちが、幕開きから舞台と観客席の距離を近づけている証拠で、実際によく笑い、拍手が随所で湧く。これほど観客の熱度の高い舞台は久しぶりだ。
山崎のこうした熱演ぶりは、周りの俳優にも伝染しているようで、同様のモチベーションの高さで、舞台のまとまりが強くなった。いささかとっぱずれたような昆のサンディ、金井の親友・ジェフ、力が入りすぎにも見えるおかしさを発揮した岡田のマックス、嫌らしい演出家・ロンのエハラマサヒロ、随所でピリッとした芝居を見せるリタのキムラ緑子などが揃っているからこそだろう。
最近、ミュージカルの舞台では一座のことを「カンパニー」と表現することが多い。まさに、コーラスや何役をも演じる俳優陣、スタッフを含めたカンパニーのまとまりが良いからこその出来である。
東京公演は1月いっぱいで終わり、地方での公演が3月末まで続くスケジュールと聞いたが、なるべく早くに更にパワーアップした再演の舞台を観たい、と久しぶりに感じた舞台だ。