「役者は他人の記憶の中にしか生きられない」。加藤健一事務所公演『ドレッサー』の中で、加藤健一が扮する老座長の台詞だ。確かに舞台芸術は、幕が降りた瞬間にすべては夢幻の中に消え、観客の心の中に「想い出」として残るのみだ。何度も同じ作品を上演しても、二度として同じものはない。ここに、舞台の魅力がある。昨年来、世界中が苦しんでいる「新型コロナウイルス」の中で、演劇好きの多くの人々が感じたのも、この「ライブ感」の魅力だろう。
下北沢の本多劇場を拠点に長い活動を続けている加藤健一事務所が、今回は池袋の東京芸術劇場に舞台を変え、「バックステージ物」と呼ばれる演劇界の内側を描いた作品群の中の名作、イギリスの劇作家ロナルド・ハーウッド(1934~2020)が体験した事実を交えた『ドレッサー』を2018年に続いて上演した。当初の予定では2月26日(金)の夜、27日(土)、28日(日)の昼と合計3回公演の予定だったが、「コロナ感染拡大防止」のため、イベントは午後8時までに終わらせなければならないことになり、演劇界は何度目かの混乱に陥った。その結果、初日の夜公演の上演が不可能となり、残る2公演も客席数を半分以下に減らしての公演となった。ここでお金の話をするのは野暮だと叱られそうだが、これでは満席でも予定の2/3の動員しかできず、キャンセル待ちの観客を断っても赤字になるだろう。
それでもなお舞台の幕を開ける、いや、開けねばならない、という加藤健一の意気やよし、である。これが大資本の公演なら話は別だが、事務所に所属しているのは本人だけという、お世辞にも大きな事務所とは言えないところが、第二次大戦下で空襲に脅えながら旅公演を続ける豊かではない一座を扱った作品と二重写しになり、演劇に対する情熱と愛情が見事に今の状況とぴたりと重なった。
『ドレッサー』とは、俳優の衣裳係兼付き人のことを指す言葉だ。第二次大戦中に、イギリスで巡業を続ける一座。心身ともに疲労困憊し、尋常ではなくなっている加藤の老座長を、加納幸和が演じるドレッサーのノーマンがなだめすかしながら、何とか舞台に出させている。とは言え、一座のメンバーの想いはバラバラで、西山水木が演じる座長の妻、一柳みるの舞台監督・マッジ、ノーマンの三人だけは、口では何のかのとは言いながらも、座長の演劇への熱意を信じ、再びその炎を燃え上がらせようと必死である。しかし、もはや座長には一座をまとめ、率いるだけのカリスマ性も体力もない。そんな中で、座員それぞれの行動や想いがだんだん明らかになる…。
観客にとって、舞台裏や楽屋は「未知なる領域」であり、神秘的で興味をそそられる人も多いだろう。しかし、芝居づくりに関わる人々にとっては仕事場であり、時に生活空間も兼ねる場所でもあり、表からは窺い知れない様々なドラマが展開される。作者が描く老座長は気分屋で我がままで、傲慢でもある。しかし、ひとたび舞台へ出れば、その演技が観客を魅了し、盛大な喝采を浴びる。その光と影、落差の中での人間模様を描いたのがこの作品だ。
日本での初演は1981年のことで、私が観た再演の舞台では、三國連太郎が座長を演じ、加藤健一がノーマンを演じていた。それから30数年を経て、同じ芝居の主役、相手役の両方を同じ俳優で観たことになる。
加藤の座長は「老巧」の言葉が相応しい手練の演技で、めちゃくちゃな発言や行動にパワーがあり、それだけに幕切れの哀切さが際立つ。まさに、生涯を舞台に賭けた俳優の人生を演じており、俳優とは一生を賭ける価値がある仕事なのだという事実を体現している。加納のノーマン、これは演出の鵜山仁の解釈なのかどうか、あえて平板に演じている感覚だ。ここで加藤VS加納の対比構造を見せようとしたのかもしれないが、もっと生々しい感情の発露やぶつかり合いがあれば、さらに舞台の濃密さが増しただろう。憎悪や尊敬、軽蔑や憧れなどの様々な感情が交錯し、屈折した上で、それを凌駕する愛情の言葉になれば、なお感情豊かだっただろうと思われるだけに、惜しい。舞台監督の一柳みる、加藤健一事務所の舞台の常連で、安定した芝居で要所を締める役割は見事。安心して観ていられる。
昨年の冬に「新型コロナウイルス」が世界中で爆発的な感染を起こし、一年以上が過ぎた。その間、日本でも多くの舞台が「中止」ないしは「延期」となり、今も上演はされていても完全な状態ではない。この時間は第二次世界大戦中の終戦間近、東京で芝居が開かなかった期間を超えた。一時は、文化的なものは「不要不急」と言われ、こうした仕事に関わる人々は、他の業種同様に今も苦しい闘いを続けている。「好きでやっているのだろう」との声もあり、それは否定しない。しかし、単純にその程度の感情だけで続けられるものではないことは、この『ドレッサー』という作品、そして今この時期に上演した加藤健一が何よりも雄弁に語り、その結果を示しているはずだ。