「初芝居」というのは、芝居好きには何とも心地の良い響きだ。今年も、お正月は東京で歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場、浅草公会堂、大阪では松竹座と、五座で歌舞伎の幕が開いている。襲名披露あり、若手の公演あり、復活の通し狂言ありと内容もバラエティに富んでいる。その中で、歌舞伎座は、松本幸四郎、中村吉右衛門兄弟、坂東玉三郎らのベテランを筆頭に、市川染五郎、片岡愛之助らの花形までが顔を揃えての公演となった。

夜の部は、幸四郎、中村雀右衛門、坂東玉三郎で北條秀司の『井伊大老』。これは、昭和56年11月に幸四郎が三代襲名の折に上演した狂言で、幸四郎にとっても想い出の深い作品だ。奇しくも昨年の暮れに来年1,2月の松本幸四郎の「三代襲名」が発表になっただけに、前回の襲名の舞台を想い出す。

この作品は、「桜田門外の変」で暗殺された大老・井伊直弼の暗殺前夜に至るまでを描いた作品で、全編を上演すると実に5時間に及ぶ。初演は新国劇のために書かれたもので、再演時に歌舞伎に移され、新歌舞伎の作品として上演されるようになった。今回は、全幕ではなく井伊直弼と正室・昌子の方、側室・お静の方のドラマにスポットを当て、二幕四場にまとめたものだ。

幸四郎の井伊直弼、見事な風格である。明治維新の大きな歴史のうねりを前に、「大老」としての苦労だけではなく、一人の人間としての想いを吐露する場面が胸を打つ。父である先代が演じた折よりも年齢は上だが、面差しがそっくりだ。正室・昌子の方は雀右衛門で凛とした姿を見せ、側室・お静の方の玉三郎は豪華な雛飾りを前に、立女形としての貫禄充分に芝居を受ける。終幕、お互いに胸中を語りながら、お静の方と直弼が雛飾りを前に語り合う場面に詩情が漂い、佳品とも言える一幕になった。井伊直弼の学問の師・仙英禅師を演じる中村歌六に、飄々とした味わいがあり、面白い。こういう役をさりげなく演じることができる役者は貴重だ。市川染五郎が直弼の学問の師・長野主膳、片岡愛之助が直弼の幼馴染の水無部六臣を演じ、ベテラン勢とぶつかり合う場面も見ごたえがある。

『井伊大老』の作者である北條秀司にしても、最近、比較的取り上げられる機会が増えた宇野信夫にしても、昭和の劇作家の作品には「詩情」や「余韻」が漂うところが値打ちだ。昭和の新作といえども場合によっては半世紀以上前の作品が多い。これらを埋もれさせることなく、必要があれば現代の観客やテンポに合うように見直すことも、今後の歌舞伎の課題の一つだろう。

続いて舞踊二題。最初は中村鷹之資の『越後獅子』、続いて玉三郎の『傾城』。『越後獅子』は、鷹之資の亡父・中村富十郎の七回忌追善狂言である。時の流れの速さを感じつつ、鷹之資が身体をいっぱいに使って元気に踊る『越後獅子』は、舞踊に定評のあった亡父へのよい追善となった。

玉三郎の『傾城』は、平成23年に初演されたもので、傾城の四季折々の美しさを、20分足らずの踊りの中で濃厚に味わわせる、玉三郎ならではの踊りだ。豪華な打ち掛けを替え、錦絵のような姿で踊る玉三郎の美しさには驚く。もう一度、玉三郎で『助六』の揚巻を観たいものだ。

最後が染五郎の『松浦の太鼓』。「忠臣蔵」外伝の一つで、染五郎の曽祖父・初代中村吉右衛門の当たり役をまとめた「秀山十種」(しゅうざんじゅっしゅ)の一つだ。昨年秋の巡業で初演し、その好評を受けて歌舞伎座での再演となったが、染五郎の芝居の寸法がいきなり伸びたのに驚いた。この芝居は、ストーリーは大したものではない。松浦鎮信という赤穂びいきの殿様が、討ち入りはまだかと騒ぎ立てた挙句に、本懐を遂げたのを知り、大喜びをするというものだ。この一見バカバカしい騒ぎを役者の魅力でどう見せるか、で面白くもつまらなくもなる。初演の折は若干の緊張が残っていた染五郎が、今回は、思い切り軽く明るく演じて、観客を乗せてゆく。それが芝居の段取りとしてではなく、心から赤穂浪士の事を想う殿様の微笑ましい温かさに見える。討ち入りの合図の太鼓が聞こえ、身を乗り出してその数を数える見せ場は、たっぷりと、しかし軽やかに演じて見せた。これから持ち役になる芝居ができた、と言ってよいだろう。
松浦侯のもとへ出入りをする俳句の宗匠・宝井其角が市川左團次。その弟子で、身分を隠して「子葉」(しよう)と名乗っている大高源吾が愛之助。妹・縫が中村壱太郎。序幕の両国橋で、雪の中、煤竹売りに身をやつしてい源吾と其角の出会いで詠まれる「年の瀬や 水の流れと人の身は 明日待たるるその宝船」の歌がこの芝居のキーワードになる。愛之助の源吾は、落魄した姿の中に垣間見せる「意地」が面白い。左團次は、こういう枯れた芝居にも味のある役者になった。縫は格別に見せ場のある役ではないが、壱太郎の殊勝さを買う。

討ち入りは年末だったが、年が明けて気分の良い芝居で打ち出し、新春の歌舞伎座は幕を閉じた。