この公演が、今回の帝国劇場公演の千秋楽、3月31日で通算1,700回を迎えるそうだ。回数もさることながら、主演の堂本光一が今もなお、よくぞ走り続けているものだと思う。この作品のキーワードになっている「Show must go on」ではないが、堂本自身、何があろうとこの作品を演じ続けるのだ、という一回一回の覚悟の積み重ねが生み出した数字である。 歳月を重ねることで表現が巧みになる一方で、肉体の衰えは防ぎようがない。しかし、その差を最小限に留めるべきストイックなまでの日々がなければ、ここまで続けることはできなかっただろう。
今年の『Endless SHOCK』も、基本は同じストーリーだが、随所に変更が見られた。ブロードウェイのオフ・シアターで公演をしていた堂本演じる「コウイチ」のカンパニーがブロードウェイへ進出したものの、そこで内博貴が演じるライバルの「ウチ」との立ち回りでアクシデントが起きる…。大けがをした「コウイチ」の代わりに必死でショーの舞台に立つ「ウチ」だが、徐々に客足は落ちている。一方、「コウイチ」が元気になって帰って来たが…、という大きな枠組みには変更はない。劇場の「オーナー」は前田美波里が1年半ぶりの出演。年功から来るものだろう、ショービジネスの世界に生きる女性のセンスやそれまでの人生が垣間見える。 しかし、その中で演出や細かな場面がだいぶ変わったようだ。最も目立つのは、オーケストラが増強され、音楽に「厚み」が出たことだ。次に、構成が変わり、今までよりも多くの部分を担うことになった後輩たちの「感覚」だ。去年よりも伸びたケースもあれば、まだ緊張感が垣間見えるメンバーもいる。そのプラスもマイナスもひっくるめた上で、堂本は座長として他のメンバーを引っ張ってゆかねばならない精神的な負担も大きいだろう。その代わりというわけではないだろうが、若干出演の場面が減ったところもある。 この現象をどう捉えるかは意見の分かれるところだ。いくら鍛えてブラッシュアップしていても、20代とは同じようにはできないのは誰しも同じことだ。そこで、少しでも負荷を減らし、リスクを減らしているという見方ができる。しかし、それだけではなく、徐々に自分の持ち分を他のメンバーに託しながらも、ステージの中心に凛然と立つ姿は変わらずに続けて行く方法を採ったのだとも考えられる。 これは演劇界全体で誤解されがちなケースの一つだが、「伝統」とは、以前のものをそのまま続けているだけではやがて限界が来る。今までの「伝統」を継承し、次へ繋ぐためには、かつての伝統を「破壊」することも時には必要なとなる。2000年の初演から今年で20年、この舞台はもはや立派な「伝統」と言ってもよいだろう。この「伝統」を、どのように構成を変えながら「Endless」にするかが、座長・堂本光一に託された今後の大きな役割の一つ、とも言えよう。 私は今までのこの舞台での堂本光一の魅力を「憂い」「翳り」「儚さ」など、その年により伝わる感覚を言葉にして表現して来た。今年の舞台をどう現わすかという点で言えば、それらのすべてを通り過ぎ、その上に立った「逞しさ」が感じられる。単純に年齢のせいではなく、間もなく1,700回を迎えようとするステージの中で、数多くの「修羅場」を潜り抜け、一人のエンターテイナーとしての経験から来る自信とも蓄積とも言える姿がそう見えたのかもしれない。どこまで彼が走り続けて行くのか、見届けるのも義務の一つだ。