だいぶ長い間歌舞伎を観ているはずだが、「ハレルヤ」が流れる中、歌舞伎座の緞帳が降りるのは初めての経験である(笑)

 夏の歌舞伎座の三部制の目玉となった感がある松本幸四郎・市川猿之助のコンビによる『東海道中膝栗毛』。今回で納涼歌舞伎ではシリーズ三作目となり、猿之助の甥・市川團子、幸四郎の子息・市川染五郎と二人の少年も大活躍し、歌舞伎座は大笑いの渦に包まれている。この四人を中心に、團子の父・市川中車、中村七之助、中村獅童の三人は、暑い盛りに見事とも珍妙とも言える早替わりで数々の役を演じて汗を流している。他にも、市川右團次、市川門之助、中村米吉、中村橋之助、福之助、歌之助の三兄弟、松本錦吾、坂東彌十郎と、ベテラン若手入り乱れての賑やかさだ。

 粗筋などあってないようなものだが、今作では猿之助演じる喜多八が、先月の大阪・松竹座での高麗屋三代襲名披露で上演された『女殺油地獄』のアルバイトで後片付けをしている時に頓死し、その葬儀の場面から始まる。相方を喪って悲嘆にくれる幸四郎の弥次郎兵衛を、噂の二人の美少年、染五郎と團子が励まし、想い出を辿って「お伊勢参り」に出掛けるが…。その途中でいろいろあって、最後はめでたく弥次喜多に加え、少年たち二人の四人が宙乗りをする、という話だ。

 江戸時代以来の、「夏の若手による気軽な芝居」の精神を受け継いで、おふざけ満載の芝居は、歴史的な酷暑を笑い飛ばすには相応しい。増して、この作品ではいつもどうにもならない幸四郎・猿之助の「ダメな二人」を引っ張り、主演はこちらではないか、と思えるほどの染五郎、團子の成長ぶりを楽しく眺めているのも一興だ。1時間50分の芝居の中には、古典の『お染の七役』や『籠釣瓶花街酔醒』(かごつべさとのえいざめ)なども「趣向」として顔を出し、「新作歌舞伎」の方向性の一つを示した物にもなっている。
ただ、サービス精神旺盛のあまりか、いろいろな材料を「てんこ盛り」に盛り過ぎた感がありるのは否めない。歌舞伎の力をもってすれば、今回の「五段重ね」の重箱料理を「三段重ね」で見せ、味わわせてこそ、の面白さもあろう。また、内輪受け、コアな歌舞伎ファンでなければ通用しない話題や笑いが多いのもいささか気になった。
 
 折角の納涼歌舞伎、小言も控えめにしよう。「どうにもならないオジサンコンビ」のダメっぷりには、去年よりも拍車がかかったようで、幸四郎、猿之助共に大熱演である。また、七之助、獅童、中車の早替わりも面白く、中では中車が、ほとんど捨て身とも言える演じ方で笑わせている。まるで『俳優祭』の一幕のようだが、年に一度や二度はこうした肩の凝らない芝居があっても悪くはないだろう。それも含めて歌舞伎の懐の深さではなかろうか。

二本目は長唄舞踊の『雨乞其角』(あまごいきかく)。江戸期の有名な俳人・宝井其角(たからい・きかく)の「雨乞いの句」にまつわるエピソードを踊りにした小品だ。中村扇雀の其角、中村歌昇の船頭ほか、中村鷹之資(なかむら・たかのすけ)、片岡千之助らの若手が大勢出演している。隅田川を舞台に、二艘の船が行き交うさまは、いかにも夏芝居らしい納涼感がある。

かつて、亡くなった十八世中村勘三郎を中心に始まったこの三部制の納涼公演も、すっかり夏芝居の名物になったばかりか、キチンと後輩たちにその精神を含めて継承されているのは頼もしいことだ。先輩たちが造ってくれた枠組みを大事にするのは必要だが、すべてを真似ることもない。自由な発想で、更に新しい物があっても良いし、逆に滅多に上演されない古典作品の実験的な上演があってもよいだろう。これからの若手の活躍の場が確保され、さまざまな発想を実行できることは、幸福であると同時に、次の世代の歌舞伎をどう考えているのか、を問われる公演でもある。