今年のお正月の歌舞伎座は、37年ぶりの「高麗屋三代襲名」で幕を開ける。九代目松本幸四郎が二代目松本白鸚に、七代目市川染五郎が十代目松本幸四郎に、松本金太郎が八代目市川染五郎にと、それぞれが父の名を襲名する興行だ。どの襲名もおめでたいものだが、「三代」同時は稀で、親・子・孫、それぞれの世代が次の名を襲名するに相応しい活躍をしている、と衆目が一致しなければできることではない。それを二回できるのは、現・白鸚の言葉を借りればまさに「奇蹟」だ。前回の三代襲名は、10月、11月の歌舞伎座で行われた。私はまだ高校生だったが、三階席で観た二ヶ月の舞台はくっきりと焼き付いている。それから37年が過ぎたと思うと、あっという間だと感じると同時に、役者と観客が共に年月を重ねる芸能である歌舞伎の喜びと本質をも感じる。

 夜の部の最初は『双蝶々曲輪日記』(ふたつちょうちょうくるわにっき)から『角力場』(すもうば)。上方の芝居で、相撲取りの贔屓・与五郎と、濡髪長五郎、放駒長吉という二人の相撲取りの達引きを描いた長編の一幕だ。濡髪に中村芝翫、放駒と若旦那の与五郎の二役が片岡愛之助。愛之助の二役は、市川猿之助の休演による役替わりだが、この演じ方は以前からあった方法で、特別なものではない。上方の芝居だけに、愛之助の与五郎のじゃらじゃらした若旦那ぶりが自然なのと、早替わりの素人相撲・放駒の素朴さが好演である。芝翫の濡髪、相撲取りの大きさと人物の大きさを見せる。

 次が三代揃っての『襲名披露口上』。今回襲名する三人を中心に、坂田藤十郎、中村吉右衛門、中村梅玉、中村魁春、中村雀右衛門、片岡秀太郎、市川左團次、中村歌六、中村鴈治郎、中村芝翫、片岡愛之助ら総勢22人が顔を揃えての口上は圧巻である。この『口上』を以て、それぞれが慣れ親しんだ名前が変わることになり、ファンたちは感無量だろう。初代・白鸚は、襲名披露後は舞台に立つことなく、生涯を終えてしまったが、二代目はまだまだ現役で、これからもどうなるか分からない可能性を持っている役者だ。それをはっきりと明示したのが、昨年の『アマデウス』だった。十代目幸四郎は、これから父の背中を追いながら、自分の道を新たに切り拓くことになるのだろう。元より、新作歌舞伎に関して高い情熱を持っているのに加え、同世代の役者たちのリーダー格としての重責を全うするだけの技量もある。新・染五郎は、これから本格的な歌舞伎役者としての勉強が始まることになる。三世代それぞれの活躍ぶりがどうなるのか、これからが楽しみだ。

 続いて、新・幸四郎が二度目の弁慶を勤める『勧進帳』。初演の折は市川染五郎だったが、今回は義経を新・染五郎、富樫を叔父の吉右衛門、四天王が鴈治郎、芝翫、愛之助、歌六と贅沢な一幕だ。幸四郎の弁慶は、父が演じ続けている弁慶とは違う方向性の人間像を模索しているようで、自分が守るべき御大将への想いが伝わり、重厚感さえ漂う。対する富樫の吉右衛門が近来にない出来で、セリフのメリハリ、調子、あたかも幸四郎の弁慶に呑み込まれまいと必死で全力投球しているかのようだ。染五郎の義経は、中学一年生での大役であり、まだまだこれからだが、幸先の良いスタートに恵まれた、というべきだろう。無事に関所を通り、花道を飛び六方で引っ込む幸四郎の眼に、厳しさを感じたのは、遥か遠くを行く義経一行を追う眼だけではあるまい。歌舞伎役者としての険阻な山道をさらに高く登るための決意の現われとも見えた。七代目以来、四代の幸四郎がこの役を当たり役にするのは、まさしく稀有なことだ。

 最後は、中村扇雀・片岡孝太郎の『相生獅子』と、中村雀右衛門、中村鴈治郎、中村又五郎の『三人形』(みつにんぎょう)の舞踊二本。『相生獅子』の孝太郎の姫に気品があり、踊りの角々がキチンとしているのが良い。『三人形』は打ち出しに相応しい廓の風景でありながら、躍動感に欠けるのが惜しい。

 一月、二月ともに、先代の当たり役を当代が踏襲する演目を含め、華やかな顔ぶれが並ぶ。恐らく、「平成」最後の襲名になるであろうが、それにふさわしい大型の披露興行が幕を開けた。