昨年の夏はコロナ禍で幕が開かなかったが、二年ぶりに夏の大阪・道頓堀で夏芝居の幕が開いた。現在は病気療養中の澤村藤十郎が中心となって始めた「関西・歌舞伎を愛する会」も今年で29回を数え、上方の伝統文化の継承・定着に心を砕く人々や、関西の歌舞伎ファンにとって貴重な舞台である。

 今回は片岡仁左衛門(にざえもん)、片岡孝太郎(たかたろう)、中村鴈治郎(がんじろう)、中村扇雀(せんじゃく)、中村壱太郎(かずたろう)、坂東竹三郎(たけさぶろう)、上村吉弥(かみむら・きちや)たち上方勢に加え、松本幸四郎、中村隼人(はやと)の東京勢で昼夜四本の演目が並んだ。残念なのは、鴈治郎が「新型コロナウイルス」の濃厚接触者と認定され、12日までの休演を余儀なくされてしまったこと、昼の部の『伊勢音頭(いせおんど)』で今田万次郎を演じる予定だった片岡秀太郎(ひでたろう)が5月23日に79歳でその生涯を終えたことだ。

 昼は、幸四郎が福岡貢(みつぎ)を演じる『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんどこいのねたば)の「油屋」と「奥庭」、それに仁左衛門の舞踊『お祭り』。夜は、仁左衛門の南方十次兵衛(なんぽうじゅうじべえ)に幸四郎の濡髪長五郎(ぬれがみちょうごろう)、孝太郎のお早で『引窓』、関西の成駒家一門で見せる『新口村』(にのくちむら)だ。当初は、鴈治郎が忠兵衛とその父・孫右衛門(まごえもん)の二役を見せ、梅川を扇雀という珍しい型での上演予定だったが、代役で扇雀が二役を演じ、梅川には壱太郎という配役に替わっている。

 昼の部の『伊勢音頭』。本来は長い芝居だが、通例の最も人気のある見せ場の上演となった。題名にもあるが伊勢神宮の御師(おし・おんし)、今で言えばツアー・ガイドのような役割の福岡貢は、家宝の名刀「青江下坂(あおいしもさか)」を家老の子息・今田万次郎に協力して探している。伊勢の遊廓「油屋」に万次郎が貢を探しに来るが会うことができず、ようやく刀を入手した貢と入れ違いになる。そこへ、「油屋」の売れっ子で貢と恋仲のお紺や、それを好ましく思わない意地の悪い仲居の万野、貢に協力する料理人の喜助などの人間模様が繰り広げられるが、ふとした過ちで貢は万野を斬ってしまう。貢は手にした刀で多くの人を斬るが、その刀こそ探し求めていた「青江下坂」だと分かる…。

 江戸期に一大行楽地であり、「伊勢神宮」を擁した多くの人々の憧れの地であった伊勢の遊廓で起きる惨劇には、伊勢の風物が織り込まれ、夏芝居にはよく上演される。上方の演目ながら、幸四郎の貢には優男だけではない色気と手強さがある。このところの充実感と芸の幅の広がりには瞠目するばかりだが、仁左衛門の当たり役でもある貢を、新しい世代の感覚で演じており、今後、持ち役になりそうな予感を持たせる。仲居の万野は扇雀。底意地の悪さで貢をいたぶりながら客席を沸かせる一方で、役としては前に出過ぎた芝居ができない難しさがある。その塩梅が良く、いい万野だ。秀太郎が演じる予定だった若旦那の万次郎を甥の孝太郎が演じている。女形も色町の女性から時代物の老け役、立役も上方和事の柔らかみのある役など万能選手を喪った哀しみと共に、確実に松嶋屋の中で芸の伝承が行われていることをも感じる。隼人の喜助は抜擢とも言える配役ながら、まだ芝居が現代めき、歌舞伎の味わいが出ない。本来この役は、ベテランがご馳走の意味で顔を見せる気分のいい役で、隼人にはいささか荷が重かったのかもしれない。ただ、今後はこうした機会も増えるであろうし、めげることなく頑張ってほしい。

 時代の変化と共に「江戸歌舞伎」と「上方歌舞伎」の本質が変わってきた中で、今回は幸四郎が仁左衛門の指導を受けた上で、後輩を引っ張りながらの熱演を見せたというのが公演全体の印象だ。先の見えない「コロナ禍」の中、歌舞伎の興行・上演形態も変わっている。そうした現状を踏まえ、古典歌舞伎の見せ方や顔ぶれなどを考え、今後の上演に際しての示唆を与える部分も大きい。

 二本目は、仁左衛門の鳶頭、孝太郎、千之助の芸者と、松嶋屋が三代揃い踏みで清元の舞踊『お祭り』。77歳にしてこの爽やかな二枚目ぶりと愛嬌に客席は大喜びだ。孝太郎の芸者には一日の長があるが、千之助はまだ硬さがほの見え、歌舞伎の修行の年功を改めて感じる。

 この舞踊は、鳶頭の出と共に、客席から「待ってました!」との大向こうが掛かり、「待っていたとはありがてぇ」と鳶頭が受けて始まるのが通例だが、コロナ感染拡大防止のため、「大向こう禁止」の今はそれがない。寂しさを感じると同時に、この形式が定着し、大向こうの掛け声がない歌舞伎の舞台がスタンダードになる可能性を考えると慄然とするばかりだ。

 夜の部は、京都の八幡の里を舞台にした『引窓』。これも本来は『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』という長い作品だが、現在はこの『引窓』と『角力場(すもうば)』のみが上演されている。士分に取り立てられ、辺りの警護を仰せつかった仁左衛門の南方十次兵衛。孝太郎の妻・お早は、元遊女である。実は、十次兵衛は吉弥が演じる母・お幸とは生さぬ仲で、お幸には幸四郎が演じる濡髪長五郎という相撲取りになった実子がいるが、罪を犯し、母を頼って実家へ戻ったのを匿っている。皮肉なことに、十次兵衛の役目はこの長五郎を捕まえることだ。実子と生さぬ仲の子を持つ親が、「義理」に挟まれ苦しむ中で、子供の見せる最後の親孝行…。

 人気がありよく上演されることもあるが、まずは仁左衛門の十次兵衛がその役柄にぴたりとはまり、情理を兼ね備えた上に、台詞の口跡の良さでこの公演では一番の出来だ。孝太郎のお早、以前よりも硬さが取れ、女形としての丸みや柔らかさが出て来たのが嬉しいことだ。年齢的にも、幸四郎との夫婦や恋人を演じるにちょうど良いバランスになって来た。今回はそうした関係の役柄ではないが、着実に修行を重ねた人の芸の花が開きかかっている予感を見せた。幸四郎の長五郎、仁左衛門の指導を受けてのことだと思うが、折り目正しくキチンとした芸だ。最近とみに重厚感や貫禄が増しているが、その中でふとした瞬間に母親に見せる「子供」の感覚、稚気とは言わないまでも細かな情愛の表現が豊かになった。二人の子と世間の義理に挟まれて苦しむ母親・お幸は上村吉弥。高校を卒業後歌舞伎の世界に入り、着実に歩みを重ね、関西の立派な名跡の一つである六代目吉弥を継いだ。守備範囲も広く、こうした老け役から時代物の局、鶴屋南北の『桜姫東文章』の局長浦など、脇役では欠かせない存在になった。コロナ禍の中で、歌舞伎界の俳優の立場や役もかなり様変わりしたが、こうした幅広い脇を演じられる俳優は貴重だ。

 最後が『新口村』。当初は鴈治郎が忠兵衛と孫右衛門の二役を替わる予定だったが、先に述べたような事情で、扇雀がその任を担い、扇雀が演じる予定だった梅川は、壱太郎が演じている。忠兵衛と孫右衛門を替わるやり方は、松嶋屋、成駒家それぞれにあるが、そう度々演じる形式ではない。大阪へ養子に出した息子が遊女の梅川に入れ揚げ、店の金に手を付けた挙句に生まれ故郷に戻って来る。雪が降りしきる中、最期の親子の別れを見せる芝居で、それぞれの役にしどころがあり、かつ難しい演目でもある。

 壱太郎の梅川が予想以上の健闘を見せ、今後の更なる飛躍が期待される。扇雀の忠兵衛、孫右衛門は代役であり、厳しい注文を付けるのは酷な話だが、一人で親子を演じるために、その差を強調しようとしすぎたのは成功とは言えなかったようだ。孫右衛門では無理に老けて見せる必要はなく、忠兵衛ももっと綺麗に演じた方が、より効果があっただろう。最初の方に出て来る地元の孫右衛門の知り合い、俗に「忠三後家(ちゅうざごけ)」と呼ばれる役は、来月で89歳の坂東竹三郎(たけさぶろう)。台詞も動きもしっかりしており、たいしたものだ。

 「コロナ禍」の中で歌舞伎が再開された折は、「一部で一時間程度の演目を一本」という制約付きだったが、徐々に緩和され、昼夜共に2時間から2時間半をかけ、二本の作品が上演できるようになった。まだ多くの問題を抱えてはいるが、いずれにしても、こうして道頓堀で歌舞伎の幕が開いたのは喜ぶべきことで、客席を埋めた観客の大きな拍手がその想いを物語っていた。