日本が「国立の」オペラハウスを持てたのが歴史的な眼で見ればつい最近のことだが、「国立」に囚われずにどんどん新しい試みを行っているのは評価に値する。今回上演された二本のバレエのうち、「ファスター」は日本初演である。2012年のロンドン五輪の折に、オーストラリアの作曲家・マシュー・ハインドソンがオーケストラのために委嘱された作品に、この公演の芸術監督であるデヴィッド・ビントレーが振付を行ったもので、サブ・タイトルに「オリンピックのモットー『より速く、より高く、より強く』にインスパイアされた、デヴィッド・ビントレーのバレエのための音楽」とある。ここからも分かるように、アスリートたちを主人公にした作品で、40分の小品が「闘う」「投げる」「跳ぶ」「シンクロ」「マラソン」「チームA」「チームB」と分けられており、ダンサーたちが全肉体を駆使し、跳躍し、走る姿は、まるでスポーツのようだ。バレエも究極的には美術も何もいらず、演者の肉体美そのものが芸術品になる、という例だろう。男女を問わず、確かにその肉体美は美しく、中には一瞬、本当のアスリートが混ざっているのではないかと錯覚さえするほどだ。それほどに鍛え上げられた肉体をもってしても、この40分の作品はいかにもハードで、ダンサーの肉体の限界に挑むような側面をも持っている。主な役のいくつかはダブル・キャストで、私が観た舞台では小野絢子と福岡雄大が今後の可能性を感じさせる素材の魅力を感じさせた。
どんなに古い作品や有名な作品にも、必ず「初演」はある。この作品の日本の初演に立ち会うことができたのは、最近の舞台では収穫と言えよう。俳優の肉体による表現、しかも一切科白を発しない代わりに、音楽と共に表現するバレエという芸術が、幾多の歴史的名作を残した上で2012年にたどり着いた一つの到達点とも言うべき作品だ。どのジャンルの舞台芸術にも言えることだが、演者の肉体の魅力が「言語」ないしは「感覚」として観客に伝わる。他の分野と比較をしても意味はないが、少なくも良い意味でのショッキングな作品であることは間違いない。
もう一本の「カルミナ・ブラーナ」は、1937年にドイツの作曲家、カール・オルフによって発表された作品で、神学校を舞台にした青春時代の若い男女の物語である。冒頭の「運命の女神よ」は映画やテレビでもずいぶん利用されており、聞き覚えのある観客も多いだろう。若い男女の間における恋愛・セックス・出産を通して、生命の輪廻をテーマにしたとも取れる作品だ。今から80年近く前のものだが、当時は神学校を舞台にこうしたテーマを扱うことはスキャンダラスな受け取り方をされたかもしれないが、きっちりと骨格が創られ、納められた「古典」という感覚が作品のバランスを保っている。こちらも日によってキャストが違うが、「神学生3」を演じたタイロン・シングルトンが、鍛え上げらえていながらしなやかな肉体の力強さを見せ、その魅力を発揮した。オーケストラ・ピットに並んだ新国立劇場合唱団の面々、東京フィルハーモニー交響楽団と実に贅沢な舞台だ。その中で、若い才能がこれから開花する瞬間、あるいは秘めた可能性を見せるこうした舞台は、新国立劇場の公演の義務とも言える。今回の二本の作品では、その義務を見事に果たし、観客の期待に応えてくれたことが嬉しい。