江戸時代の風情を今に残す香川県「金丸座」での「こんぴら歌舞伎」も、今年で三十回目を迎えた。早いものだと感じると同時に、こうした試みが地域の芸能としてしっかり根付いたことの嬉しさをも感じる。今年は市川染五郎を座頭に、中村壱太郎、上村吉弥、尾上松也などの顔ぶれで一座が開いた。ちょうど桜も見ごろで、春の旅にはよいかもしれない。

夜の部、『女殺油地獄』、この頃は油まみれの殺しを見せる「豊嶋屋内」で終わらせずに、その後の場面まで上演するケースが増えて来たが、これは良い傾向だ。河内屋与兵衛という青年のその場限りの行動がどう完結するか、そこまでをキチンと作品として見せることになるからだ。

染五郎の与兵衛、遊蕩ぶりが板に付いた、良い色気と風情だ。気まぐれな男であり、機嫌の良い時や自分の思うように事が運んでいる時と、追い詰められた時の落差が激しく、この若者がいかにその場限りの人生を生きているかがよく分かる。人により演じ方はさまざまだが、染五郎の与兵衛はその場の感情に任せて動く人間像を色濃く描いている。この芝居の見どころである油にまみれての殺しが行われる「豊嶋屋内」の出の瞬間の顔付きは、凄惨ささえ感じさせるものがあった。最悪の場合は、殺しても仕方がない、という、深く考えもせずに決心をして懐に刀を呑んで来たように見える。まったくの衝動殺人なのだが、それでも与兵衛は少ない選択肢を一応わずかな時間ではあるが考え、その結果、考えること自体が面倒になり、「最悪の場合は…」とその後を考えずに出て来たように見える。それを頭の中で想定し、自分がこれから起こすかもしれない行動に脅えてもいる。そんな数種類の感情がこの時の顔から見て取れた。油屋のお吉を殺した後、何食わぬ顔で逮夜に悔みに来て証拠が見つかってしまい、引き立てられてゆく。中には高笑いをしながら引っ込む場合もあるが、染五郎はそばでおろおろ涙を流す両親に目を走らせ、半ば決然とした、あるいは逆に悄然とした想いを浮かべて花道を引き立てられて行った。改めて自分のしたことの罪の大きさを感じると同時に、「これ以外にどんな方法があったのだ」とでも言いたげである。

この作品が語られる時に、「現代の青年像に通底する」という旨が枕詞のように使われる。しかし、近松門左衛門は予言者ではなく劇作家である。彼が描こうとしたのは、「どこの時代にでもいそうな場当たり的な生き方をする青年。その行動と破滅」の一つのパターンであり、現代にも当然いるが、明治にも大正にも同じことが言えるはずだ。近松が描こうとしたのは、数は少ないがある意味では普遍的な、暴発する青年の姿ではなかったのだろうか。

油屋のお吉は壱太郎。若さゆえに、子持ちの人妻の色気、という点ではいささか物足りない。しかし、お吉の亭主・七左衛門の松也もそうだが、自分の年代よりも上の役を演じることで役者は鍛えられてゆくものだ。そうした意味で言えば、足りないところはあるものの、決して不合格というわけではない。兄貴分の染五郎に引っ張られ、こうした役をどんどん自分の持ち役にすることだ。それに応えることが、こうした役への抜擢に対する答えだろう。

大劇場では感じられない役者との距離感の近さ、客席とのやり取りをしながら手の触れることができそうな場所で芝居をする役者を観ることが、こうした劇場での「ご馳走」である。義太夫の三味線の響きも、歌舞伎座や国立劇場とは明らかに違う。江戸時代をそのまま再現することはできないが、現代人にはいささか窮屈とも言える空間に身を置くことで、ふと自分が江戸時代にいるような感覚になれる。東京からは遠いが、数年に一度はこの空気の中で芝居を観たいものだ。