劇団四季の創立メンバー・日下武史が86歳で亡くなったという知らせを聞いた。静養先のスペインでのことだったという。以前から体調を崩していると耳にしており、年齢的な問題も考えると、もう舞台を観ることは叶わないだろうとは思っていたが、たとえ芝居ができなくても「日下武史がいる」という精神的な支柱の意味は大きかった。
「日下武史の魅力」という点で、まず誰もが口にするのがそのたぐい稀な台詞術だろう。決して大柄でもなければ、声を張り上げるわけでもないのに、緊張感に満ちた、迫力のある台詞だった。作品にもよるが、相手をグイグイと追い込んでゆく、あるいは何かを問い掛ける際の感情が醸し出す感情のグラデーションの表現は見事で、比類のない技術、と言えよう。
私が観て来た舞台の中でいくつかの作品を挙げれば、1978年の『ヴェニスの商人』に始まり、1981年には日生劇場の舞台に湖を造って上演した『かもめ』、81年、市村正親が四季に在籍していた当時の『エクウス』、89年に山口祐一郎を相手に演じた二人芝居の推理劇『スルース』、同年にやはり市村正親と演じた『M・バタフライ』、2006年の『鹿鳴館』、2009年の『ひかりごけ』、最後の舞台となった2014年の『思い出を売る男』…。いずれも忘れ難く、日下武史でなくては、という配役だった。
1953年に、まだ学生だった浅利慶太や日下武史らが、アヌイやジロドゥなどのフランス演劇を上演したいという目的で結成した劇団は、現在では数多くのミュージカル作品を全国で大規模に展開している。『キャッツ』をはじめとするこれらの公演が、それまで芝居に縁のなかった若い観客やファミリー層の開拓に果たした功績は大きい。それは劇団の功績として評価に値するが、ここに至るまでの劇団四季は、ストレート・プレイ専門の劇団であり、創立者たちが目指した海外の古典や現代劇を中心にしたレパートリーを上演していた。東京・港区には四季の劇場がいくつかあるが、その中の一つ、浜松町駅から徒歩数分のところにある「自由劇場」は、劇団創立当初の目的であるストレート・プレイの上演に適した劇場、の目的を果たしながら、ミュージカルも上演できるように工夫して建設された劇場である。
日下武史はいわゆる「二枚目役者」という印象ではなかった。その代わりに、卓抜した台詞と演技力を持つ役者だった。『エクウス』で馬の目を潰した少年・アランに事情を聞く精神科医・ダイサートの、温かく相手を受け入れながら真実に肉薄しようとする芝居には圧倒された。こうした場面が、印象に残っている芝居には例外なくあった。
もう一つの魅力は、「深み」のある声だ。役者の評価で「一、声 二、顔 三、姿」とは歌舞伎の世界から来た言葉だが、その第一の魅力である「声」は独特で、『鹿鳴館』の影山伯爵では皮肉な物言いの中に疑心暗鬼がほの見える「声」であり、『M・バタフライ』では騙されていたことを知らずに悔悟する男の苦渋が感じられる「声」だった。
芝居は、役者の全身を使った肉体での表現である。その肉体が滅びた瞬間、役者の芸も同時に滅びる。劇団創立メンバーとして、多くの後輩にその理念や想いを伝え、舞台で実際に見せたことは、後に続く者への大きな励みになっただろう。しかし、日下武史もまた、自らの命と共にその豊かな芸を携えて、天に帰った。「芸は一代」という言葉を、哀しく想い出すことになってしまった。