現行の歌舞伎のレパートリーの人気演目で、市川猿之助家・澤瀉屋(おもだかや)の当たり芸となっている。劇作家・木村錦花の妻で同じく劇作家の木村富子(1890~1954)が、従兄に当たる二世市川猿之助(1888~1963)のために書いた作品だ。
福島県・安達が原の「鬼女伝説」を題材にした長唄の歌舞伎舞踊で、山村のあばら家に棲む老女の元へ一夜の宿を借りに来た僧侶たち。その会話の中で、自分にも救いの道があるのだと喜び、夜も更けた山の中へ薪を拾いに行き、一面の薄が原の中で自分の魂の法悦を得る。しかし、自分が留守の間、見てはいけないと念を押しておいた部屋に積まれていた人骨を見られてしまい、救いの道を絶たれたと知った老女は、鬼女に姿を変え、その本性を現わすが、僧侶に調伏されてしまう。
他の地方にも見られる民話を題材にしながら、「悪事を犯した老女の魂の救済」という非常に現代的なテーマが描かれている。描き方を間違えれば、難しい理屈に陥りがちなこのテーマを、あくまでも「歌舞伎」の枠を逸脱することなく描き、老女が鬼に変身し、舞台の様相を一転させるなど、従来の歌舞伎らしさを存分に含んだ作品で、新歌舞伎の中の白眉の一つ、とも言えるものだ。長唄に良い曲が付いているのも大きな理由の一つだろう。昭和14(1939)年初演とは思えない味わいを持つ作品だ。
「鬼女伝説」自体は古いもので、すでに西暦700年代から語り継がれている仏教説話で、結末が若干違うものもあり、また、福島県だけではなく青森県や岩手県などの東北各地、関東の埼玉県、東京都、関西では奈良県など各地に伝えられている。口づてに広がる仏教説話を題材にした芝居には、多かれ少なかれこうした傾向は見られるもので、どこが本家だと目くじらを立てる話ではないが、「ご当地」にしてみればそうも言ってはいられないのだろう。いくつかの場所で「本家争い」があったようだが、それもご愛敬というものだ。
二世市川猿之助が初演した後は、現在、病気療養中の二代目市川猿翁(前・三代目市川猿之助)、そして当代の四代目市川猿之助へと、80年近くにわたって受け継がれて来た「澤瀉屋」の家の芸である。「澤瀉屋」は珍しい家で、初代が明治23(1890)年にこの名を名乗って以降、当代の四代目まで130年近く「市川猿之助」の名前が途切れる瞬間なく続いている家だ。同時代で言えば、松本幸四郎家も長い間「松本幸四郎」の名が途切れずにいるが、七代目が亡くなった昭和24年、その子息が八代目を襲名するまでわずか7ヶ月ではあるが空席となっている。
三代目、四代目ともにエネルギッシュな舞台を見せ、人気を博しているが、当代の猿之助がまだ先代にわずかに敵わない点が一つある。高僧たちが訪れ、自分の魂の救済を確信した老女が、月明りの薄が原で一人法悦境の中で踊る場面だ。皓々と白いまでの月明りの下で、自分の罪業が洗い流されて行くかのような感覚に浸る老婆の喜び。これが大きければ大きいほど、後の場面の怒りが増大し、恐ろしさが増す。この場面だけは、当代が先代に敵わないところだ。しかし、これは技術的な問題ではなく、年齢的な問題だろう。年を重ねて、老女の心根が肚の中へ落ちる頃になれば、当代らしい場面が生まれるはずで、そこが歌舞伎の面白さだ。
他の役者も出るが、『黒塚』は何と言っても主人公の老女が担う場面が圧倒的に多い。肉体的な負荷も多い役だが、楽しみな芝居でもある。