003.『セールスマンの死』作:アーサー・ミラー 2017.04.24
1949年にニューヨークで初演されたこの作品は、初演から70年近くが経とうとしている現在も、アメリカ現代演劇の金字塔としての輝きを失わない。当時では老いた、という感覚の63歳のセールスマンが、過去の栄光と現実の厳しさの狭間に耐えることができなくなり、最期には自ら死を選ぶ、という哀しいドラマが今も変わらぬ普遍性を保っているからだろう。日本には、アメリカで初演後の5年後に、劇団民藝によって上演された。昭和29年のことだ。まだ、戦争の痛手から抜けることのできない、その途上にあった日本での上演は、画期的である一方、手探りの部分も多かったようだ。
真偽のほどは知らないが、こんなエピソードがある。ある新劇人(当時はこの言葉が普通に使われていた)たちが、この芝居について話した時のこと。「『セールスマンの死』って知ってるかい?」「あぁ、セールスマンなぁ。「詩」は読んでないが、「小説」なら読んだ」。小噺のようだが、「セールスマン」という人物が書いた「詩」だというイメージが、演劇人の中にあるほど、アメリカは遠い地だったのだ。
この作品を、日本の「新劇史」で燦然と輝かせたのは劇団民藝の仕事による部分が大きい。思想的に共鳴する点も多く、日本で最も多くアーサー・ミラーの作品を演じている劇団でもあるが、何と言っても瀧澤修(1906~2000)が緻密に作り上げた演技の功績は大きい。1954年の初演以来、57年、66年、75年、84年と5回にわたって演じている。最後に演じた時は、瀧澤は78歳という計算になるが、日常の錯誤から狂気へと陥る主人公、ウイリー・ローマンのエネルギーが凄まじく、前から5列目辺りで観ていて、瀧澤が発する強烈な「気」に、身体がのけぞるような不思議な感覚に襲われたのを鮮明に覚えている。瀧澤修以外には、劇団昴の久米明(1924~)、無名塾の仲代達矢(1932~)のウイリー・ローマンを観たが、瀧澤の印象があまりにも鮮烈で、それを乗り越えるまでの舞台にはならなかったのが残念だった。
主人公のウイリー・ローマンの、年老いても働き続け、ローンに追われる生活は、日本での初演から60年以上の歳月を経ても、変わるところはない。狂気に陥り、自ら死を選んだウィリーの葬儀の後、未亡人となったリンダが墓に語りかける。そこで、もうこれでローンの支払はすべて終わったのよ、でも、もうあの家に棲む人は誰もいない、と語りかける。その言葉は、今になって、途方もなく重みを増している。背景こそ違え、高齢化が拍車を掛けて進む中、あちこちの町や団地がゴーストタウンや空洞化という現象にさらされている今の日本に通じる部分がたくさんあるからだ。もちろん、アーサー・ミラーが60年先の日本を予見していたわけではない。しかし、演劇における「普遍性」はつまるところ人間の生活であり、その中に渦巻く感情、そこから発生する行為なのだ。一見当たり前のような出来事を、薄い皮一枚のところで非日常の出来事にする。そこに「劇的」な作業が加わり、演劇的感動が生まれるのだ。だからこそ、今もなお繰り返して上演されている。もはや、「古典」と言ってもよい作品でいながら、そこに「古臭さ」はない。時代の経過によって多少の違和感はあるものの、作品の中に生きている「人間」の感情はそう大きく変わるものではない。
時代の流れが加速する時代だからこそ、しっかりと人間を描いた、骨格のしっかりした作品は普遍性を失わないのである。我々が、昔の作品から学ぶことは多い。