023.『おりき』作:三好十郎 2017.09.11
作者の三好十郎は、昭和初期から戦後の復興期にかけて日本の劇壇で最も活躍した作家の一人、という紹介で間違いはないはずだ。思想的にはプロレタリア演劇から始まり、左翼思想に疑問を感じて距離を置いた後は、それまでの既成文学への批判的な立場を取った。一人の作家の思想が時代とともに揺れ動くのは当然のことだ。今は、思想的な面で言えば動きも緩やかで劇作家の作品の前面にそれが押し出されるケースが少ない、ということになろうか。
さて、多作でもあった三好十郎の「この一本」となれば、ゴッホの評伝劇である『炎の人』を筆頭に、『浮標(ぶい)』、『斬られの仙太』などが思い浮かぶが、ここではあえて『おりき』を選ぶことにする。今年、創立75年を迎えた劇団「文化座」の創立メンバーでもあった鈴木光枝(1918~2007)が、1944年、26歳で70歳近い老婆を演じ、38年間封印していた舞台を再演、その素晴らしい演技に絶賛の声が起き、以後、80歳まで500回を超えるステージを演じ続けた。
『おりき』は戦争末期の信州の山の中を舞台にした一幕物だ。舞台一面に本物の麦が植えられ、そこに埋もれるように、一人の老婆・おりきが黙々と作業をしている。そこへ、道を聞きに来た青年との何気ない会話が始まる。会話の途中で、青年は軍人であり、おりきの息子がガダルカナルで命を落としたことなども話題になる。また、村の人々が厳しい戦時下での農作業をどうするか、あるいは家庭の悩みなどを相談に来る。それらをおりきは明快に捌いて大きな声で明るく笑う。
やがて、青年は去り、日暮れが近付く中、またおりきは野良仕事に戻る。
全く何ということのない話だ。学校を出たわけでもないおりきは難しいことを言うわけではない。ただ、長い間生きて来た人生の体験の中から浮かぶことを簡単に話すだけで、時としてその言葉はぶっきらぼうである。しかし、どの言葉にも愛情が満ち溢れている。その温かさが、観客の胸を打つのだ。何か、とてつもなく素晴らしい感動的なストーリーではないが、日常生活の端々に見える名もない人々の人生の中から、いろいろな物が見え、幕切れには涙で目がかすむような舞台だ。