作家の林芙美子の半生を描いた菊田一夫の『放浪記』。2015年から16年にかけて仲間由紀恵が上演したが、多くの方が周知の如く、森光子が1961(昭和36)年から2009(平成21)年まで、48年をかけて2017回という前人未到の記録を打ち立てた作品である。初演は現在シアタークリエの場所にあった「芸術座」で、最後になった2009年の2000回公演は帝国劇場での公演となった。本来、そう大きな劇場向きの芝居ではないが、森光子という女優は、直線距離で約300メートルほどの距離に、半世紀近くを掛けたことになる。
私が最初にこの舞台を観たのは1981年のことで、それ以降、東京のみならず名古屋・中日劇場、帝国劇場での2000回公演など、何回この舞台を観たかわからないが、2009年5月9日の2000回の日は、森自身の89歳の誕生日でもあった。その数年前から名物にもなっている「でんぐり返し」は封印されていたものの、年齢が信じられないほどの若々しさで一ヵ月公演を乗り切った。森光子という女優の人生は、『放浪記』と共にあった、と言っても過言ではないだろう。
架空・実在に関わらず、半生紀や一代記を扱った芝居は多い。森の他の作品でも、漫才師、ミス・ワカナの生涯を描いた『おもろい女』も佳品である。他にも、吉本興行を創った興行師・吉本せい、シャンソン歌手の越路吹雪の生涯を綴った『越路吹雪物語』など、多くの人々が芝居の素材になっている。波乱万丈であればあるほど、芝居としては山場も多く、見どころもできる。まさに、「事実は小説より奇なり」を地で行く他人の人生を、舞台の上で演じられる数時間で疑似体験できるのが魅力の一つだろう。
『放浪記』の主人公・林芙美子は、貧苦に喘ぎ、カフェの女給から自らの体験を描いた小説『放浪記』で一躍流行作家になる。これが1930年、27歳の時のことで、『晩菊』、『浮雲』など映画化された名品も遺しているが、わずか47歳でその生涯を閉じた。早世を予見していたかのように、色紙などに好んで書いたのは「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」の言葉だった。
舞台『放浪記』は、芙美子の死、を予感させつつも描いてはいない。売れっ子になり、徹夜の連続で疲弊しきっている芙美子の元へ、多くの人が訪ねて来る。その中に、若い頃、同様に文学を志し、一人の男性を取り合うライバルでもあった日夏京子が訪ね、いつの間にか眠り込んでしまった芙美子にそっと毛布を掛けながら、「お芙美、あんた、ちっとも幸せじゃないんだね」という台詞で幕になる。終幕に自らが顔を出す作者の菊田一夫は、同じ物書きの「業」をこの芝居の中で描こうとしたのではなかろうか、そんな気がしてならない。どれほどの売れっ子になろうが、読者が飽きれば、ないしはアイディアが尽きればそれで終わり、という恐怖と背中合わせでも書き続けなくてはならない。誰か代わりがいるわけではなく、逆に、誰でも代われるようであれば物書きとしての価値はない。
林芙美子や菊田一夫に対し「同業者」などと言えば天罰が下るが、この焦燥感にも似た感覚は少なからず理解できる。森光子の林芙美子は、観る度に印象に残る場面が変わって行ったが、最後の頃はやはり大詰めが白眉と言えるものだった。もう一か所、かつての恋人に会いに帰った郷里の尾道。さりげない人々との会話に訛りがふと出る。船の汽笛が聞こえる中、寂し気な風情で、あずき色の足袋を履いて佇んでいた姿も忘れることができない。