今年3月の日生劇場で幕を開ける市村正親の人気ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』。相手役のジョルジュが鹿賀丈史に変わって10年目になる。過去に「ファイナル」と銘打って上演したが、評判の高さにその看板が下ろされ、上演が続いている。まだまだ何度でも演じることが可能な作品だろう。
この作品の成立は多少複雑だ。当初はミュージカルではなくストレートプレイで、本国フランスでの初演は1973年。日本では1981年に『Mr.レディ Mr.マダム』のタイトルで宝田明のジョルジュと金田龍之介(!)のザザで幕を開けた。この作品が、1983年にミュージカル化され、『ラ・カージュ・オ・フォール』と名を改めて今に続いている。ミュージカル版の日本初演は1985年の帝国劇場、岡田真澄のジョルジュに近藤正臣のザザというコンビで幕を開け、1988年まで4年間、毎年上演された。その後、1993年からザザが市村に、ジョルジュは細川俊之、岡田真澄を経て鹿賀丈史になったのが2008年のことだ。来春の上演で、日本での公演は11回目になる。
フランスのゲイ・クラブのくたびれた花形スター・ザザと、その愛人・ジョルジュ。二人の男性カップルの間にはミッシェルという一人っ子がいる。これは、若き日のジョルジュが過ち(?)で他の女性との間にできた子供だが、ザザが母親代わりとなって育てて来た。年頃になってミッシェルが結婚すると言い出し、その両親を招くことになったものの、恋人・アンヌの両親は堅物で知られた議員。ザザを普通の男性らしく見えるように、涙ぐましい特訓を経て、議員夫妻を迎えたが…。
1985年の初演の舞台を観た時、近藤正臣が女装をし、ゲイ・クラブの花形、という役どころ自体にも驚いたが、物語全体に「あぁ、こういう話もあるのか…」という距離感が客席との間にあったのを覚えている。それから32年間、東京でのステージはすべて観て来たが、時代の変化でLGBTという性的マイノリティの人々に対する世の中の感覚が変化を見せるのと足並みを揃えるかのように、舞台と観客の距離感はどんどん近付いた。今や、カーテンコールにはスタンディング・オベーションで観客が一緒にナンバーを歌う様子は、1980年代に日本を席捲した『屋根の上のヴァイオリン弾き』にも共通した感覚がある。
華やかな舞台に加え、「私は私」「今、この時」などの優れたミュージカル・ナンバー、ザザに市村正親という適役を得たことは大きい。相手役はもちろんだが、脇を固める面々に芸達者が揃ったことで一気に人気が沸騰した感がある。文学座の故・加藤武が演じたダンドン議員の絶妙な堅物ぶりをはじめ、森公美子が初演以来の持ち役にしているダンドン夫人の面白さ、レストランを経営するザザの友人・ジャクリーヌは、初演以来、秋川リサ、上月晃、草笛光子、沢たまき、日向薫、香寿たつきと個性豊かなメンバーが演じて来た。帝国劇場や日生劇場の舞台に、こうした作品が乗るということが、演劇が世相を反映している鏡であることをも示した作品だ。
観た目だけの問題で言えば、いささかケレンのように感じられる場面があるかもしれない。しかし、作品全体を通して残るテーマは、男女の性別には関係のない「人間愛の讃歌」だ。この確固たるテーマが揺らいでは困るし、揺らがない限り上演し続けてほしい作品である。来春の市村ザザのエンジン全開ぶりと見事なアンサンブルが創り出す明るさと一滴の涙が楽しみな舞台である。