宮城県・伊達藩のお家騒動を描いた作品で、「仙台」の音が読み込まれている。伊達綱宗公が最高級の香木・伽羅(きゃら)で造らせた下駄を履いて遊廓へ出かけたというエピソードから、「伽羅」と書いて「めいぼく」と読ませるのも気が利いた洒落である。
「花水橋」「御殿」「床下」「対決」「刃傷」という場面で通して上演されるのが通常だが、丁寧に見せる場合は、「御殿」の前に「竹の間」が付く。何と言っても見せ場は「御殿」で、お家乗っ取りを企む一味を相手に乳人(めのと-「乳母」のこと)の政岡が、我が子の千松を犠牲にして、幼君・鶴千代君(つるちよぎみ)を守る。我が子の死を目前にしても顔色一つ変えない凛然とした政岡の姿に、子供を取り替えたのだ、と勘違いした乗っ取り派は、秘密を明かして去る。一行がいなくなったのを見届けた政岡は、母親に戻り、我が子に「死ね」と教え続けた哀しみを詫びながら一人、千松の遺体にすがって泣く。
昭和三十年代から四十年代に掛けてまでだろうか、この芝居は多くの女性の涙を絞った作品だった。それが、ここ十年ほど前から、それまでとは違う観客の声を聴くようになった。「いくら主君のためとは言え、自分の子供を殺す感覚が、たとえ芝居でも理解できない」というものだ。芸能は時代と共に変容される宿命を持っている。時代の流れの中で、作品世界の受け取り方が変わって来た例である。全面的にこの作品が拒否されているわけではないが、三十年前には聞かなかった声だ。
一本の芝居をどう解釈し、受け取るかはすべて観客に委ねられている。そこで、観客がどう判断するかは自由だ。場合によっては、演じる側が観客を「芝居の世界」として納得させられなかったのではないか、という意見もあるかもしれない。誰の舞台の時にどう感じ、他の人ではどう感じたかという詳しい統計を取ったわけではなく、無責任なことは言えない。しかし、演者の問題も、このテーマを考える要素としては他の演目同様に必要だろう。
昔は、女性が流す涙を「紅涙(こうるい)」と呼び、「紅涙を絞る」などの表現も使われていた。こうした言葉がもはや「死語」になっている今、先のような反応があっても仕方がないのだろうか。しかし、「我が子を犠牲にする」という目前の現象だけではなく、その現象を取り巻く背景が、大きく変わっていることをも併せて考えなければ、『伽羅先代萩』と時代性を考えることはできない。この場面だけではなく、銘木であり高価な「伽羅」の下駄を履いて、遊廓へ通う殿様の「常識」はどうなのか、という問題もあるだろう。
このように、芝居を「理詰め」で考えてしまうと、その魅力が一気に色褪せてしまうケースがある。近代演劇や海外の演劇などには必要でも、歌舞伎は始まりの江戸時代から「荒唐無稽」がその基本の一つにあった。どんなに深刻な思想劇でも、「荒唐無稽」の一言で済ませられるのは、「かぶき者」が見せたある種の「凄み」ではないだろうか。何をやっても所詮は作り事、「そこが芝居」という中で、どれだけの広がりを見せられるか、が芝居の楽しみでもある。
昨今の歌舞伎は「女形の不足」という深刻な問題を抱えている。最近、この芝居の上演が減少気味なのは、歌舞伎の未来を考えた時に憂慮すべき事態だ。上演されなければ、「この芝居をどう想うか」という議論にも発展しない。問題の根は深い。