井上ひさし(1934~2010)が、昭和の演劇に多くの優れた作品を遺したことは論を俟たない。問題は、多くの戯曲の中から何を選ぶか、だが、私は一人芝居の秀作である『化粧』を書きたい。大衆演劇の女座長が、うらぶれた芝居小屋の楽屋で、観客には見えない劇団員やテレビの取材などと話しているうちに、自分の人生と演じている芝居との境目がなくなってしまい…、という話だ。

 一人で喋りっぱなしの芝居は多数あるが、この芝居、1982年の初演時は「一幕物」だった。それが、途中で二幕に書き直され、初演以来28年にわたり、2010年までの間に渡辺美佐子が648回演じて納めた。他にも文学座の平淑恵など、腕に覚えありの女優が演じて来たが、これは確かに難物と言える芝居で、観ている方は難しくないが、演じる方は相当の技量を必要とするものだろう。

この芝居の初演には、個人的な思い出がある。当時、私は今も日本橋で現役の「三越劇場」でアルバイトをしており、そこから歩いて五分ほどのところに三越はもう一軒、「三越ロイヤル・シアター」(元は「呉服橋三越劇場」として開場)を有していた。その7月の地人会公演で、「女優ばかりの一人芝居」を取り上げて上演することになった。

Aプロが神保共子の『乳病み』(作:水上勉)、萩尾みどりの『花いちもんめ』(作:宮本研)、大塚道子の『四つの肖像』(作:A・ウェスカー)。Bプロは藤田弓子の『還りなんいざ』(作:岡部耕大)、渡辺美佐子の『化粧』、李麗仙の『母(オモニ)』(作:呉泰錫)というラインアップだった。合計6本の一人芝居を、途中で昼夜を入れ替えて見せるというのは、今から36年前にはかなり冒険的かつ画期的な試みで、その証拠にチケットもよく売れ、私は自分のアルバイトをさぼっては覗きに行ったものだ。

他の作品が格別劣っていた印象はなく、李麗仙の芝居も良かったが、ダントツの評判を取ったのは、渡辺美佐子の『化粧』だった。この時点では一幕物で、私は今に続く優れた作品の初演時に、偶然ながら立ち会っていたことになる。20歳の小僧ながら、大衆演劇の楽屋の雑然とした風景が、渡辺美佐子の台詞を通じて浮かび上がって来るのと、いかにも女座長らしい歯切れの良い、気っ風の良さをありありと感じ、想いもかけない幕切れに驚かされたのを鮮明に覚えている。その後、幾度かこの舞台を観るチャンスがあり、二幕物になった舞台も観ているが、私にはこの初演の鮮烈なイメージを超えるものにはならなかった。それは、この作品と私が出会った「タイミング」の問題であり、渡辺美佐子の技量の問題ではない。

ことほどさように、舞台というものは、作品や役者と観客がどのようなコンディション、タイミングで出会うかは、のちのちの大きな影響を与えるものだ。しかし、それは自ら選べるものではなく、数年、あるいは数十年という歳月を経てふと後ろを振り向いた時に、「あぁ」と感じるものであり、自分が狙ってどうにかできるものではない。そうした芝居を何本か心の中に持っていることは、観客としては幸せなことだ。しかし、その瞬間は二度と味わうことができない不幸と一枚の紙の裏表のような関係でもある。何千本という舞台を観ながら、こうした経験はそうたびたびできるものではない。

もう一つ言えば、私が一人芝居に殊更の興味と関心を持っているのは、私の観劇歴の中で、以前紹介したコクトーの『声』と『化粧』との出会いが大きく影響していることは否定できないだろう。