昭和という長い時代を活動期の中心に生きた作家の中で、「文豪」の名に相応しい一人が谷崎潤一郎(1886~1965)ではないか、と私は勝手に考えている。没落しゆく大阪・船場の旧家の四姉妹を描いた『細雪』は今なお、キャストを変えて上演され続けている。あるいは、『刺青』、『卍』、『春琴抄』などのように、独特の耽美的な世界に惑溺する小説を思い浮かべる読者もいるかもしれない。

 小説家として一家を成した谷崎は、戯曲も20編ほど残している。現在、歌舞伎でたまに上演される『お国と五平』、新劇団が取り上げることが稀にある作品が数編で、あまり上演の機会はないものがほとんどになってしまった。

その中で、この『恐怖時代』は、1916(大正5)年に発表されたものの、「発禁処分」を受けた作品だ。その理由は、「あまりにも残虐」ということだろう。ある国の殿様の愛妾で絶世の美しさを誇るお銀の方が、家老の靱負(ゆきえ)とも通じており、お家乗っ取りのために絶世の美少年のお小姓・伊織之介と共に、登場人物のほとんどを殺してしまい、芝居の幕を閉じる頃にはほとんどの登場人物が血みどろの死を遂げている、という芝居だ。確かに、この舞台の表面的な部分だけを観れば残虐極まりない芝居だ。しかし、谷崎が描こうとしたのは、単なる殺人鬼ではなく、倒錯した感性を持ち、人を殺しても顔色一つ変えない美貌の女性・お銀の方をはじめとする「生きた人間の怖さ」ではなかろうか。

 昭和の歌舞伎界に新しい作品分析と演出の考えを持ち込み、独自の足跡を遺した武智鉄二(1912~1988)という演出家、映画監督、演劇評論家がいる。関西に拠点を置き、若手の歌舞伎俳優を育成して「武智歌舞伎」を上演し話題になったのは1949年、昭和24年のことだ。ここで、二代目中村扇雀当時の現・坂田藤十郎、四代目坂東鶴之助当時の五世中村富十郎がスターの座をつかみ、二人の名を取って「扇鶴時代」と呼ばれるブームを関西歌舞伎に創った人でもある。その一方、自ら監督した『黒い雪』がわいせつだとして、裁判になったり、私生活でも芸能ニュースや週刊誌に上る話題が多く、破天荒な生涯を送った人だ。

 昭和56年8月26日、歌舞伎座で一日だけ、「武智鉄二古稀記念」として本人の演出で『恐怖時代』が上演された。賀を祝う公演であり、当時の歌舞伎界の錚々たる顔ぶれが並ぶ、豪華な舞台だった。六世中村歌右衛門、二世中村鴈治郎、十三世片岡仁左衛門、五世中村富十郎、中村扇雀当時の現・坂田藤十郎…。贅を尽くした配役で素晴らしい舞台が、と書きたいところだが、誰もが忙しい中、充分な稽古が出来なかったのだろう。その上、武智鉄二が「せっかくだから…」と演出に凝ったのだろうか、役者の多くが科白が怪しく、非常に間が延びた、曰く言い難い舞台になった。世の中、そううまくは行かないものだ。

 ただ、滅多に観られない豪華な顔ぶれの「一日限り」の贅沢な舞台に触れられたことは貴重な想い出だ。この贅沢さこそ、武智鉄二という人の真骨頂であったのだろう。「武智歌舞伎」に関する評価はさまざまで、まだ確定的な判断はないが、個人的にはそれは大きな問題ではないと考えている。それよりも、武智鉄二が持っていた「眼」が、昭和の芸能にいささかの揺さぶりをかけた、という点が面白く、『恐怖時代』もその一つだったのだ、という感覚を、私は面白くとらえている。こういう幻の舞台を想い出すのは楽しみな一方、新しい演出で観てみたい、とも思う。