私は、「演劇は時代と共に変容する」という考えを持っている。時代によって受け入れらないものもあれば、時代が変わって大ヒットする作品もある。しかし、これらの多くは、一度舞台に乗せた脚本を大幅に変更しながら時代と共に歩んでいるわけではない。作者としては「完成版」を上演するのが原則であり、上演の都度直していたら、身がもたないだろう。

 だからこそ、キャストや時期が変わるたびに脚本が変容してゆくつかこうへい(1948~2010)の『熱海殺人事件』のありようが、より新鮮に感じられ、刺激的でもある。何よりも、演劇界の常識を大きく打ち破った作品としての魅力は大きいだろう。この作品が初演されたのは1973年、信濃町にある文学座のアトリエだった。その後、75年の再演時にキャストがトリプルになり、78年以降はその中の一組である三浦洋一、平田満、加藤健一のゴールデン・トリオとも言うべきメンバーで上演された。刑事でいながらタキシードで決め、髪型はリーゼント、という三浦洋一の木村伝兵衛という妙な名前の役がカッコよく、三流の犯人の野暮ったい加藤健一を超一流の犯人に仕立てるという破天荒な設定も面白かった。

 以来、有名・無名を問わずに多くの舞台で演じられているが、阿部寛が1993年に初演し、その後2002年まで演じた『熱海殺人事件~モンテカルロイリュージョン~』は中でも画期的な作品だった。三浦洋一が演じた木村伝兵衛の設定が、元オリンピックの棒高跳びの代表で、同性愛者という内容に変わっていた。それを、あの立派な体格の阿部寛が女装までするという大サービスで演じた。これが、それまで「モデル上がり」と見られて苦悩していた阿部寛を、立派な俳優の一人に育てた舞台になった。この舞台を演じるに当たって、阿部寛も悩んだであろうが、それまでのイメージを大きく変え、脱皮させるための作者の愛情に見事に応えた阿部寛のその後の足跡は、今の姿を観れば説明の必要はないだろう。

 このケースだけではなく、作者は、演者が変わるたびに脚本に手を入れるばかりではなく、自らが演出に当たる折は、稽古場でどんどん内容を変えて行った。つかこうへい、25歳の折の作品は、62歳という現代の感覚では若い死を経てもなお、多くの観客に愛着を持たれ、アマチュア演劇などでも頻繁に上演されている。一見とんでもないストーリーのようだが、私はこの作品から作者の人間に対する狂おしいまでの愛しさを感じるのだ。台詞は乱暴な言葉も多く、わざとがさつに演じる場合もあるが、それは表層的な問題で、作者の心はもっと深いところにある。職業や属性に関係なく、それを剥ぎ取った裸の人間の感情を描こうとする姿勢は、『飛龍伝』などの他の作品にも現われている。

戦後まもない混乱期に生まれ、後に自らが語ったように在日韓国人二世である出自、安保闘争で学生の運動家として大きな影響を与え、自ら命を絶った「奥浩平」の名を自らのペンネームに使用していることなど、複雑な心情を抱えながら生きて来た劇作家が、20代のエネルギーを政治活動ではなく演劇の世界で爆発させた作品だからこその面白さ、それは『熱海殺人事件』を考える時にはずすことのできない要素だろう。

 今、日本と朝鮮半島の関係は深刻さを増すばかりだ。泉下のつかこうへいは、どんな想いでいるのだろうか。