1981(昭和56)年8月22日、台湾での飛行機墜落事故により51歳でその生涯を閉じた、というニュースは衝撃的だった。その前年には、本業の脚本以外に短編小説の連作シリーズで第83回直木賞を受賞し、ここで紹介する『あ・うん』をはじめ『阿修羅のごとく』など、破竹の勢いとも言える快進撃のさなかに、ふっと眼の前から消えてしまった。潔すぎるほどに。
向田邦子作品を観ていると、女性でありながら「男」の感覚が実に見事に描かれているのに感心する。テレビ生放送の時代の経験や、ラジオ番組『森繁の重役読本』を毎週一本書くという「実戦」の中で鍛えられた筆力の賜物だろう。多くの作品の随所に、敬慕した「父」の姿が、作品の随所に見られるようにも思う。癖のある字で知られ、台本を印刷する会社には「向田邦子の文字の解読係」がいた、という微笑ましいエピソードもある。
一世を風靡したテレビドラマ『寺内貫太郎一家』や『だいこんの花』などの大活躍も忘れ難いが、中でも『あ・うん』はその代表と言ってもよいだろう。昭和初期の東京を舞台に、「戦友」の二人の男、水田仙吉と門倉修造の家族を描いたドラマで、工場の経営者で羽振りの良い門倉と、小さな会社の課長の水田の男同士の友情に、ほろ苦い恋物語を含んでいる。子供のいない門倉は、水田の娘までをも溺愛し、我が子のように感じているばかりか、水田の妻にほのかな恋慕を抱いている。それを知りつつ、男同士の付き合いを続ける二人。まさに、戦争で生死を共にした「寝台戦友」の結び付きだ。
テレビのフランキー堺の水田、杉浦直樹の門倉のコンビは絶品で、1989年には坂東英二の水田、高倉健の門倉で映画化され、2000年には串田和美の水田、小林薫の門倉で再度ドラマ化された。主な活躍の舞台はテレビであり、舞台用の脚本というものは改めて書いているわけではない。しかし、最初は映像で創られたものが、のちに舞台化され、作品の優れた味わいを表現していたという点で、「私が選ぶ100本」の中に入れた次第である。
タイトルの「あ・うん」は、神社の入り口を守っている一対の狛犬や、寺の山門に置かれている仁王像の口の形「阿吽」で、物事の始まりと終わりを差す仏教用語だ。「阿吽の呼吸」とはぴたりと息が合うことを差した言葉で、今でも生きている。
この『あ・うん』が、向田邦子の死後、初めて舞台化されたのが、1991年2月に六本木の俳優座劇場での上演ではなかっただろうか。杉浦直樹がテレビと同じ門倉を演じ、水田は名古屋章に変わった。その他のキャストも、テレビのオリジナル・キャストに近く、軽さと男の哀愁、ほのかな恋慕、子供っぽさが入り混じった感覚の杉浦直樹が実に良かったのを憶えている。時には子供じみた喧嘩をし、相手の想いをわかっていながらあえて口にしない昭和初期の男たちの姿が見事に描かれ、幕が閉じて劇場の片隅で号泣したのを忘れることはできない。
向田邦子の惜しんでもあまりある死から37年、私自身が彼女の没年を超えてしまっていながら、まだ満足のゆく仕事ができずに忸怩たる想いで日々を過ごしている。須臾の間とも言われる人間の生涯の中で、「何を残すのか」ではなく、「これから何が書けるのか」を考えなくてはいけない年代に差し掛かったことを、向田への追慕と共に、自分への大きな課題として真剣に考えなくてはならない時期に来たようだ。