今回はギリシャ悲劇。作者のエウリピデスは紀元前480年頃の生まれで、紀元前406年頃に亡くなったとされている。今から約2,500年も前に、高度な劇的要素を持つ作品が上演されていたことには驚くばかりだ。古い時代のことゆえ、曖昧な部分も多いが、70年を越える生涯の間に90本以上の戯曲を書いたとされているが、現在確認が可能なのは、『バッコスの信女』、『アンドロマケ』、『メディア』など、19編しかない。いや、19編も残っている、と言うべきだろうか。

 2016年3月、平幹二朗(1933~2016)が、1978年、45歳の折に蜷川幸雄(1935~2016)の演出で日生劇場で初演し、ギリシャ本国での上演などを経て、2012年に「一世一代」と銘打って日本各地を巡演した。その好評や、上演できなかった場所を、2015年から16年にかけて約100ステージ上演し、実に38年間かけて一つの作品を練り上げて行った。2016年の『王女メディア』の最期の旅の千秋楽を3月6日に終え、東京へ戻る電車の中で、「中村さん、今日、やっと『初日』が出ましたよ」と語っていたのが忘れられない。それから半年と少しで、忽然と平幹二朗は我々の前から姿を消した。

 『王女メディア』は、嫉妬に狂う女性が、その果てに我が子を殺す、という陰惨な芝居だ。夫が他の若い女性に心を移し、結婚しようとしたために、相手の女性とその父親を毒殺し、やがては夫との間に設けた二人の我が子を手に掛ける。人間の根源的な感情の一つである「嫉妬」をテーマに描いた芝居だが、最後の巡演で平幹二朗がたどり着いたのは「赦し」だった。すべての行為を終えた挙句、すべてを許して、自分は天へ昇る。立派な体格と見事な台詞の朗誦術を持つ平幹二郎が、様式に頼らず、あえて男の声で朗々と演じる王女に、違和感はなかった。が、最期の1ステージだけは、女形の芝居が持つ「様式」を取り入れて、前日までの芝居とはガラリと芝居のありようを変えた。それが実に自然で、流れるような芝居に変わった。半年に及ぶ長い旅公演で、満身創痍のはずでありながら、カーテンコールで嫣然と微笑みを浮かべていた姿が印象的だった。

 長い時間の間に演出も蜷川幸雄から変わり、初演の時にまとっていた過剰なものをどんどん削ぎ落し、2012年、16年の舞台は「生身の肉体」だけで勝負し、過剰なものを一切排するほどシンプルな芝居に変わったが、これは役者の演技術としては相当に高度なものだ。歌舞伎で言えば、豪華な衣裳で身を包んだ踊りではなく、身体の線がもろに見えてしまう「素踊り」のような舞台だ。ここに至るまでにどんな試行錯誤を繰り返したのかは、本人でなくてはわからないだろう。しかし、80歳を過ぎて、休憩なしで2時間に及ぶ芝居を演じるエネルギーの凄まじさは見事、としか言いようがなかった。

 私は、年に一度は、芝居の地方巡演に同行をお願いしている。東京近郊に住んでいると、一ヵ月で見切れないほどの芝居の数があるが、地方はそうではない。年に数回の舞台を、それぞれの土地で、新たな空気感のもとで感じることで、自分の中にある膨れたスポンジを絞り、選択して感性を磨き直すためだ。2016年の旅は、平幹二朗の『王女メディア』だったが、旅を終えて満面の笑みを湛えていた平幹二朗は、その半年後に、我々の前から忽然と姿を消した。こういう体験をすると、舞台が「一期一会」であることを、否がおうにも納得せざるを得ない。また、そこが「生の芝居」の価値でもあるのだ。