ジャンルに関係なく、その役や演目を「演じ納める」ことを「一世一代」と言う。一般的にも、相当な労力を必要とする大仕事に取り組む時などに使う場合もあるようだ。 今までにずいぶん多くの「一世一代」の舞台を観てきたが、この表現は歌舞伎などの古典芸能の方が使用頻度は高いようだ。もちろん、どこの誰が使っても構わず、「一世一代」と銘打って演じた舞台が非常に好評で、「一世一代ふたたび」とした例なども少なくはない。2016年に82歳で急逝した平幹二朗は、40年近くの歳月をかけて演じた『王女メディア』を一世一代で演じ、その後「一世一代、ふたたび」として演じた。寿命を保っていたら、「みたび」もあったかもしれない。
「一世一代」と銘打つ以上は、自分の中でもその役に対する自信もあれば、評価も高いからこそ、のことだ。しかし、これで最後、となると心境はかなり複雑だろう。また、あえてそう言わずとも、本人も観客も、「もうこの役はこれで最後かもしれない」と思って観る舞台もある。一番大きな要素は年齢や体調だが、それだけではなく、その役を演じる「巡り合わせ」が次はいつになるのか、という問題も大きい。 欠かさずに観続けていたわけではないが、初めてその芸に触れてから約半世紀になろうという舞台人がいる。80代の半ばを過ぎ、さすがに動きは衰えてはいるものの、その分心理的な表現の深みが増し、余人には代えがたい味わいを見せる。「滋味」とでも言おうか。まだ何も分からない子供に、「こういうのを色気がある芸っていうんだよ」と教えてくれたのは、明治43年生まれの祖母だった。存命なら110歳だが、96歳で長逝したこの祖母は、字を読むことはできるが、ほとんど書けなかった。学校へは行かずとも、人生で学んだ物差しで、芸の良し悪しも判断できたのだろう。祖母の眼は確かだった。他にも、祖母が「うまいね」と言った人は、みな名優だった。
この事は、取り立てて自慢するほどの話ではない。明治生まれの人々の中には、古典芸能や芝居を一般教養の一つとしていた人は多く、珍しくはないからだ。そういう人が回りにいれば、自ずと敷居も低くなり、ちょっとした用足しの行き帰りに、歌舞伎座の幕見を覗くのはごく一般的な行動だった。
舞台に携わる人々ではなくとも、「一世一代」はその人生に幕を降ろす時だろう。10年近くを施設で過ごしていた祖母の様子がおかしい、との連絡が入ってから15分と絶たないうちに、息を引き取ったとの報せを聞いた。昼食とおやつを食べ、入浴前に施設のスタッフが迎えに行った時にはすでにこの世の人ではなかった。見事な一世一代の死に方だったのだ、と思っている。